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芥川賞(第166回)候補作を一気読み ジェンダー、非正規雇用、Z世代…現代を読み解くテーマに挑んだ5作品を詳細紹介

第166回(2021年下半期)の芥川賞候補作が発表になりました。第154回(2015年下半期)から、すべての候補作品を受賞作発表前に読み続けている自称・芥川賞ウォッチャーが、今回候補になった5作品を紹介します。受賞作の発表は来年1月19日です。受賞作予想に役立ててください。作者名の50音順に紹介いたします。

石田夏穂『我が友、スミス』 ジェンダーに悩む筋トレ女子が主人公

まずは、初の候補になった石田夏穂さんの『我が友、スミス』(すばる11月号)です。往年のアメリカ映画『スミス都へ行く』を彷彿させるタイトルですが、ここでいう「スミス」は、スミス・マシンというバーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシンのことを指します。物語は冒頭、トレーニングジムでの筋トレの様子から始まります。

主人公は、30歳を前にしたOLで、「運動不足だったので、筋トレしようかなと」いうくらいの軽い動機で、ジム通いを始めます。1年ほどして、ボディビルの世界で実績を残した女性ジムオーナーのO島に勧められ、大会への出場を目指すことになります。O島の「第三者に認められようとすることで、人間は、一皮も二皮も、むけるものだから」との言葉に、U野は「別の生き物になるよ。」と心の中で答えます。そして、「そうだ、私は、別の生き物になりたかったのだ。」と悟ります。それから大会に出場するまでの約1年間のトレーニングの様子が描かれます。バーベルを使ったトレーニング法とか、栄養の摂り方、大会までのエステの準備やポージングの仕方などが詳しく説明されていて、これだけでかなりのボディビル通になることができます。

「ボディ・ビルを『裸一貫で戦う』競技と見做し、その潔さを称える。しかし、あろうことか」「それに鼻白んでしまう」私にとって、「この競技は、世間と同等か、それ以上に、ジェンダーを意識させる場」でしかありません。ボディビルの大会出場を目指したU野は、そこから何を得ることができたのでしょうか、または何を失ったのでしょうか。結末は、ご自身で読んで確認してください。

第165回芥川賞候補作一気読みはこちらから

石田夏穂さんの『我が友、スミス』が掲載された「すばる」(11月号)

九段理江『Schoolgirl』 異様な母娘関係の行く末は……

同じように初の候補となった九段理江さんの『Schoolgirl』(文學界12月号)は、今年の文學界新人賞を受賞した『悪い音楽』に次ぐ受賞第1作です。

主人公は、「毎月使い道に悩むほどのお金を持ってくる」夫と14歳の娘を持つ、タワーマンションに住む専業主婦です。彼女のいまの最大の関心事は娘の成長で、「私よりずっと賢い」娘に対して、「とにかく彼女は何らかの主義を持っているらしい」「子供を産んでよかったと臆面もなく宣言する世間一般の母親たちの中に、この私もついに加わった」「私は戦いに勝利した、あるいは重要な任務を遂行した」と思うものの実際には娘との関係がうまくいかず、精神に変調をきたしています。それには彼女自身の母親から受けた「教育」が影響しているだろうことが物語の序盤で明らかにされます。

一方の娘は、「功利主義者/利他主義者/菜食主義者/現実主義者」で、15歳で環境保護活動家として名をはせたグレタ・トゥンベリに憧れ、世界のあふれる不正や虐待をなくそうと YouTube動画通じてメッセージ発信を行っています。34歳という年齢のわりに保守的な母親とうまくいくわけはありません。このように異様な母娘の関係ははたしてどこに行きつくのかと気にしながら読み進めると、やはり芥川賞の候補作になるだけあって、一筋縄にはいきません。読んでいて、「あれ、ここ、こういう展開になる?」と思う箇所が少なくとも二つはありました。

タイトルの『Schoolgirl』は、主人公の娘のことを指しているように思われますが、物語の後半でもう一つの意味が示唆されます。それについても、「この流れで、そうくるかぁ」と意表をつかれました。掲載誌の表紙には、「ジェネレーションZ 文学ここに誕生!」と謳ってあります。新世代文学がどのような評価を受けるのか、注目されるところです。

九段理江さんの『Schoolgirl』が掲載された「文學界」(12月号)

砂川文次『ブラックボックス』 非正規雇用28歳、日常から非日常に

砂川文次さんの『ブラックボックス』(群像8月号)は、自転車のメッセンジャー便のライダーであるサクマが主人公です。過去2度、芥川賞の候補になった『戦場のレビヤタン』(第160回、2018年下半期)と『小隊』(第164回、2020年下半期)では、自身自衛官だった経験を活かし、戦場を舞台とした砂川さんにとって、新境地を開いた1作です。

物語は、非正規雇用の不安定な生活と常につきまとう先行きの不透明感とともに進行していきます。メッセンジャー便のライダーは、基本的に個人事業主で、一度、転倒して大けがでもしようものなら、収入が絶たれます。福利厚生面でも恵まれず、明るい将来を見通すことはできません。それを重々承知している28歳のサクマは、「ちゃんとするか三十になるまでに物になる土台みたいなの、絶対今見つけなきゃですよ」と言う職場の後輩の言葉を「痛いほどよく分かる」と思いながらも、一歩を踏み出そうという気持ちが起きません。

マイケル・チミノ監督の映画『ディア・ハンター』(1978年公開)は、放映時間183分の長尺で、ペンシルベニア州の平凡な若者たちの暮らしぶりを描いた前半部分が、一瞬にして非日常の戦場に転じる場面がとても衝撃的で印象的でした。『ブラックボックス』も、途中突然、「非日常」生活に転じます。サクマは、それから先の人生に光明を見出すことができるのかどうか。そのラストシーンの捉え方は、人それぞれだと思います。

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砂川文次さんの『ブラックボックス』が掲載された「群像」(8月号)

乗代雄介『皆のあらばしり』 歴史好き男子高校生VS怪しい関西弁の男

続いて、乗代雄介さんの『皆のあらばしり』(新潮10月号)です。乗代さんも砂川さん同様、『最高の任務』(第162回、2019年下半期)と『旅する練習』(第164回、2020年下半期)に続く、3度目のノミネートです。

主な登場人物は、歴史研究部に所属する高校2年生の男子と関西弁を話す怪しい中年男性です。2人の「対決」の舞台となる栃木県栃木市の皆川城址は、15~16世紀にかけて下野一帯で勢力を持っていた地方領主・皆川氏の居城跡で、標高147mの城山山頂に本丸を構えた元山城です。際立っているのは関西弁の男性のキャラクターです。とにかく博覧強記で、年号をそらで西暦に言い替えたり、滝沢馬琴の日記に精通していたり、「小便してきっかり十時間は我慢できる」トレーニング法を習得していたり、なにやら不気味な感じを醸し出します。その男が、高校生に向かって、ある古文書に関連して取り引きをもちかけ、高校生はそれに応じます。数か月にわたって定期的に会う2人は、皆川城址の二の丸のベンチで丁々発止のやりとりを繰り広げます。

男によると、それは「ウィン・ウィンの関係」になるはずなのですが、はたしてその通りになるのでしょうか。読者は最後に心地よく作者にはぐらかされることになります。

実は、この怪しい関西弁の男とは、乗代さんが2016年に発表した『本物の読書家』にも登場し、強烈な印象を残しています。みたび、このキャラクターが登場することがあるのかどうか、ファンとしては気になるところです。

ここで名前を挙げた乗代さんの4作品には、いずれも具体的な場所が登場し、それぞれ大きな存在感を示しています。『皆のあらばしり』、さらには『旅する練習』についての紹介記事は、「街歩き的ブックガイド」のアーカイブにありますので、ぜひご一読ください。

「街歩き的ブックガイド」の『皆のあらばしり』はこちらから

乗代雄介さんの『皆のあらばしり』が掲載された「新潮」」(10月号)

島口大樹『オン・ザ・プラネット』 話すことで「生きている」実感を確かめる4人の若者

島口大樹さんの『オン・ザ・プラネット』(群像12月号)は、今年の群像新人文学賞を受賞した『鳥がぼくらは祈り、』に続く、受賞後第1作です。映画サークルの仲間4人がショートムービー撮影のため、車で鳥取県に向けて旅する間の物語という、まさにロード・ムービー仕立てそのままの作品です。

旅をするのは主人公で、演出とシナリオを担当する善弘=よしひろとトリキ、スズキの男性3人と女性のマーヤの4人です。横浜を出発した4人は、まず浜松のトリキの実家に泊まり、次の日は、大阪でよしひろの高校時代の友人の島口の部屋に泊まります。登場人物の一人が、作者と同じ名前なのは、作者当人なのでしょうか。車で移動している間の会話とこの2晩の会話で物語は構成されます。

物語に登場する4人、最終的に島口も含めた5人は、本当によく話をします。時間とは、人間とは、世界とは、彼らが話題にするテーマは深淵で、考えようによっては、答えのないようなものばかりです。彼らはそうした答えの出ないテーマについて話し合うことで、生きている実感を確かめているようにも感じられます。そうした中で、トリキの弟をめぐる不思議な出来事や、マーヤが中学1年のときに出会った少女の話が心に残りました。物語の合間に、4人が撮影した映画の場面場面がインサートされます。映画を観ているような気持ちになる小説です。

島口大樹さんの『オン・ザ・プラネット』が掲載された『群像」(12月号)

満を持しての乗代・砂川と新鋭3人の争い、発表は1月19日

候補者の生まれ年をみてみると、最年長は1986年生まれの乗代さんで35歳、砂川さんと九段さんが1990年生まれ、石田さんが1991年生まれ、最年少は島口さんの1998年生まれです。候補3度目の乗代さんと砂川さんに対して、九段さん、島口さんはデビューして2作目、石田さんはデビュー作でのノミネートです。満を持しての前者2人に新鋭3人という構図です。事前に候補作を読んでおくと、来年1月19日の発表日がとても待ち遠しくなるに違いありません。さっそく近くの図書館に出向いて、候補作の掲載されている文芸誌を借りてみてはどうでしょうか。ちなみに乗代さんの『皆のあらばしり』は12月22日新潮社から刊行されます。

Profile

二居隆司

読売新聞に入社以来、新聞、週刊誌、ウェブ、広告の各ジャンルで記事とコラムを書き続けてきた。趣味は城めぐりで、日本城郭協会による日本百名城をすべて訪ねた。

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