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『皆のあらばしり』乗代雄介著  歴史マニア高校生VS「悪漢」 山城跡で繰り広げられる心理戦 

【街歩き的ブックガイド】読んでいて、ぞくぞくする感覚が味わえる小説はそうはありません。久しぶりにそうした体験を楽しむことができました。乗代雄介さんの『皆のあらばしり』をご紹介します。

2人芝居のような緊張感あふれるやりとりの連続

タイトルにある「皆」は、物語の舞台となった栃木県栃木市にある皆川城址を指すものと思われます。「あらばしり」は、日本酒をつくる際に、最初に圧力をかける前にもろみの重さだけで出てくるお酒です。少ししかとれなくて、貴重なお酒といわれています。さて、この不思議な組み合わせのタイトルが意味するところはなにでしょうか?

物語には、主人公の男子高校生と彼と対峙するあやしい中年男性、そして主人公の所属する歴史研究部の1年後輩の3人しか登場しません。後輩は冒頭の1場面だけの登場で、そのあとはあたかも舞台演劇における2人芝居のように、主人公と中年男性の緊張感あふれるやりとりが続きます。

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標高147mの皆川城址の頂上にある展望台は遠くからでもよく見える。

男の博覧強記ぶりに驚かされたのはまだ序の口

主人公の「ぼく」は高校2年生で、「天高く馬肥ゆる秋」に、平日は「人は滅多に来ない」皆川城址の「本丸に上っていく階段」の途中で、「その男に出会」います。「ただの出張ついでの観光客や」という「男」は、「三十代だろうか」「長袖の白いポロシャツにたくましい体を浮かせて迫力」があります。

「ぼく」は「男」に問いに対して、「部のみんなで、地誌編輯材料取調書の翻刻をしている」と答えます。そして、「翻刻っていうのは−−」と説明しようとする「ぼく」に対して、「男」は「書物を原本の内容のまま活字で出版することや」とこともなげに説明し、「ぼく」を驚かせます。

ただ、それはまだ序の口で、「後々のことを考えると、こんな先回りは驚くにも値しない」と「ぼく」がそのとき思ったように、物語のなかで何度も「ぼく」は「男」の博覧強記ぶりに驚かされることになります。歴史文化に関わる知識のみならず、写真家・土門拳の戦争体験や人生を生きていく上での処世術、さらには「小便してきっかり十時間は我慢できる」トレーニング法にまで通じています。なんとも不気味な男ではありませんか。

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敵を防ぐための竪堀がよくわかる形で残っているので有名な皆川城址。

「乗代作品」ならではの一筋縄にいかない展開

「ぼく」は「男」とのやりとりの末、「ウィン・ウィンの関係」をつくろうという「男」の提案を受け、ある古文書に関しての取引をします。その取引をめぐって繰り広げられる2人の心理戦を軸に物語は進展します。

「男」の言葉遣いから、「ぼく」は、「あなたは大阪だろ?」と指摘します。それに対して「男」は、「自分、コナン君みたいな名探偵になれるかもわからんで」と言い、「ぼくを指さし、おどけるようにへへへと笑」います。この場面を読んで、思わず「悪漢」という言葉が頭に浮かんできました。

もちろん「乗代作品」ですから、物語の展開は一筋縄にはいきません。読者の思惑を見事に外されます。実際に読んでいただいて、ぜひぞくぞくしてもらいたいものです

栃木駅から西に向かい、永野川を越えてさらに進んだところに皆川城址はある。

山腹に階段状に曲輪を配置した独特な形状の皆川城

天高く馬肥ゆる秋の1日、「皆のあらばしり」の舞台になった皆川城址を訪ねてみました。

公共交通機関で皆川城址に行くには、栃木市のコミュニティバスを使うしかありません。1日5本です。時間に合わせて栃木駅に着いたものの、別路線のコミュニティバスに間違って乗ってしまい、結局、皆川城址まで歩いて行くはめになりました。約5・5キロ、約1時間の道のりです。結果、それでよかったと思っています。主人公の「ぼく」がたどった道筋を同じように歩くことができました。

「ぼく」の家は、栃木駅からすぐで、「南口から北口へ抜けて、永野川に突き当たるまで西に歩いて、しばらく北上して、東北自動車道をくぐるまで一時間」ほど行くと、「やっと皆川城址の山が見え」てきます。ちょうど小春日和で、歩いているとうっすらと汗ばんできて、上着はもう要りません。

皆川城は、15~16世紀にかけて下野一帯で勢力を持っていた地方領主・皆川氏の居城で、標高147mの城山山頂に本丸を構えた山城で、山腹に階段状に曲輪を配置した独特な形状から、法螺貝城とも呼ばれているそうです。かなり離れたところから、山頂にある展望台を見ることができ、なかなかの貫禄を感じさせてくれます。

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皆川城址の頂上から見通すことができる筑波山。

2人の「対決」の場になった西の丸ベンチにわくわくする

城の登り口から本丸までは、歩いて10分くらいで着きます。登り口は本丸の南側にあり、山頂をぐるりと一回りする形で登り道が続いており、北側に入ると日陰になり、急に肌寒くなったので慌てて上着を羽織りました。展望台からは、遠く筑波山を見ることができます。

「ぼく」と「男」の2人だけの話し合い=対決の場として設定されているのが、西の丸の皆川中学校を見下ろせるベンチです。西の丸が思ったより狭くて、探すのに苦労しましたが、見つけることができました。ベンチに人が座るのを邪魔するようにツバキが自生しているとの記述通りなので間違いありません。ここで歴史好きの高校生が得体のしれない悪漢と丁々発止のやりとりをしていたのかと思うとなんだか心がわくわくしてきました。

「新潮」10月号に掲載された『皆のあらばしり』は12月下旬に新潮社から単行本として発売される予定です。乗代さんは過去、『最高の任務』と『旅する練習』で二度、芥川賞候補に挙がっています。今回、『皆のあらばしり』が候補に挙がるようなら、受賞の最有力ではないかと個人的には思っています。単行本化が待てないという方は、図書館で借りるなり、アマゾンで中古品の「新潮」を購入するなりして、読んでいただければと思います。

主人公と「男」が「対決」したと思われる西の丸のベンチ

Profile

二居隆司

読売新聞に入社以来、新聞、週刊誌、ウェブ、広告の各ジャンルで記事とコラムを書き続けてきた。趣味は城めぐりで、日本城郭協会による日本百名城をすべて訪ねた。

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