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鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【ハンカチ】

フランス文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんによるエッセイをお届け。愛猫のグリ(シャルトリュー 9歳・♀)とともに今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語ります(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)

手をふくためのものにあらず


日本人にとって、ハンカチは濡れた手をふいたり涙をぬぐったりするのに使われる。ハンカチで洟(はな)をかんだりしたら、なんて不潔な人という顔をされる。洟をかむのはポケット・ティシュー、ひと昔前なら懐紙(かいし)と決まっていた。

しかし、フランス語でハンカチに相当するムショワール (mouchoir) という言葉は「洟をかむための道具」という意味であり、現在でも、フランス人は、男も女もこの用途でハンカチを使っている。とりわけ、男の人は、日本手拭のような大きなハンカチを取りだして、「ブゥオオ」と大音声を立てて洟をかむので、初めての日本人はびっくりする。一説によると、鼻の構造のせいであのような大きな音が出るというのだが、真偽のほどはわからない。

もちろん、ポケット・ティシューのようなものも売ってはいるが、このティシューも、紙ナプキンのような厚い紙を何枚も重ねたもので、紙製のハンカチというイメージに近い。いずれにしても、フランス人にとってハンカチというものが洟をかむための布であることはたしかだ。そして、これにはちゃんとした歴史的な経緯がある。

イラスト◎岸リューリ

フランスにハンカチというものが誕生したのは、ルイ14世の宮廷であるといわれている。この時代、新大陸からさまざまな事物がもたらされたが、なかでタバコは大きな論争をまきおこした。パイプでタバコを吸う人は、煙を撒きちらす上に、痰(たん)を吐きだすので、エチケットを重んじる宮廷では毛嫌いされた。これに対して、鼻の奥に粉末のタバコを吸いこむ嗅ぎタバコは、まわりの人の迷惑にならないばかりか、クシャミを誘発するというので大歓迎された。クシャミはアリストテレス以来、幸運をもたらす吉兆と考えられ、また体液の循環を刺激すると見なされていたからである。

しかし、クシャミをすれば、当然、洟(はなみず)や唾(つば)が飛び散る。そこで、ハンカチというものが考えだされたのである。驚いたことに、これ以前には、フランス人は手で洟をかんでいたらしい。

やがてインドからインド更紗が輸入されるようになると、フランスの宮廷人たちは、この高級な布地のハンカチを見せびらかすために、嗅ぎタバコを吸ってはクシャミをするようになった。上品なクシャミの仕方についての指南書まで現われた。

この伝統は今日にまで受け継がれている。フランスでは、人前で音を立ててハンカチで洟をかむのはいささかもエチケット違反ではないのである。

【グリの追伸】
なにしろ、本の多い家なので、ネコにとっても本との共生ということが必要です。本を引っ掻くことはしませんが、本を枕に寝ることはあります。困るのは、本を読んでいる横で寝ていると、用もないのに、いたずらしてくることですね。あれはやめて欲しいと思います。

枕にちょうどいい

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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