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ビリギャル、34歳の現在地──偏差値30からの慶應現役合格後、辿った道のり〔前〕

ベンチャー企業に転職して気づいたこと

じつはそのあと、違う業界で少し働いたものの、やっぱりサービス業に戻りたい、ウェディングプランナーをやりたいと思って、ウェディングのベンチャー企業に就職したんですね。社員5名の小さな会社で、式場は持たずにいろいろなレストランや空いている式場を提供してもらって、そこで結婚式をプロデュースする会社です。自分たちの式場を持たないぶん費用はかなり抑えることができて、お客様には好評でした。また少人数の会社ゆえ、私の裁量で決められることも多く、自由度が大きいのもよかったです。

一方で、プランナーとして感じたのは、「チーム」で動けないことの大変さです。前の会社は式場を持っていたので、サービスのスタッフもキッチンのスタッフも「チーム」として動くことができていました。しかし、新しい会社では毎回会場が変わり、スタッフは初対面の方ばかりなので、私がそれまでプロデューサーとしてやってきていたような結婚式ができない。そういう物足りなさ、やりにくさはすごくありました。

レストランウエディング
イメージ写真(写真AC)

前の会社では「何でこんなに高い料金を取るんだ⁉」と文句を言っていたけれど、チームで動いていたことの意味とともに、あの料金にはそれなりの価値があったんだなということが、このときによくわかりました。

書籍がヒットし、ビリギャル本人にもオファーが

こうして、ふたたびウェディングプランナーとして働くようになっていた頃、坪田先生の著書が発売されました。その本が話題になり、ベストセラーとなったことで、ビリギャル本人の私にも講演のお話が来るようになります。

もともと私自身は、ウェディングプランナーを選んだだけあって、自分でマイクを持って人の前に出ていくのはそんなに好きではありませんでした。裏方の仕事をずっとやってきて、誰かを輝かせることが自分には向いていると思っていたので、ビリギャルとしてスポットライトがパンと自分に当たって、最初はちょっとびっくりしていたと思います。

ただ、やっていくうちに、目の前の人を幸せにしているという点では、ウェディングプランナーと同じくらい意義を感じるようになっていったんですね。私の話を聞きたいという人がこんなにいてくださるというのを肌で感じましたし、それまで会ったこともない子どもたちから「さやかちゃんのおかげで人生が変わったんだよ」って泣きながら言われたりする。これはすごいことになっているぞと。

講演会 学校 ビリギャル
イメージ写真(写真AC)

講演をするようになってもしばらくは、これからもウェディングプランナーをやろうと思っていました。けれど、だんだん「ウェディングプランナーは私以外にもたくさんいて、優秀な人もたくさんいるだろうけれど、ビリギャル本人として、この子たちに影響を与えてあげられるのは私しかいないんだ」と思うようになって、これはウェディングプランナーをやめてでもやる価値があるんじゃないかと考えるようになりました。

先生の本が出版されて1年くらいたって映画化されたあたりでしょうか。そのころの私は、年に100回以上講演をするようになっていました。(中編に続く)

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Profile

小林さやか

こばやしさやか 1988年愛知県名古屋市出身。高2の夏に小学4年レベル、偏差値30の学力しかなかったが、その後、1年半で偏差値を40上げ、慶應義塾大学に現役で合格。卒業後はウェディングプランナーとして活躍、2014年にフリーランスに転身。2021年聖心女子大学人間科学専攻修士課程修了。現在は米国コロンビア大学教育大学院で認知科学を研究中。教育現場などでの500回以上の講演実績を持ち、2019年に恩師、坪田信貴先生とYouTube「ビリギャルチャンネル」を開設。教育エンタメ動画を配信している

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