×

ビリギャル、34歳の現在地──偏差値30からの慶應現役合格後、辿った道のり〔前〕

ウェディング会社のモーレツ社員

入社した会社ではウェディングプランナーとして、たくさんの結婚式をプランニングしました。私は打ち合わせで新郎新婦とお話をするのが楽しくて、それが式の当日に形になるのを見るのが本当に大好きでした。ずっと一緒に準備してきたおふたりが式当日を迎えた時、私がチャペルも宴会場も扉を開けるんですよ、「行ってらっしゃいませ」って。その瞬間が大好きでした。

結婚式 ウエディングプランナー 新郎新婦
イメージ写真(写真AC)

ただ、働き方はきつかったですね。結婚式は冬以外は繁忙期。だいたい月に8件から10件の式を担当していました。式の多くが土日祝に行われますし、1日に2件あることも少なくありません。ウェディングプランナーは式や披露宴の間も新郎新婦を先導することをはじめ、最後まで滞りなく進めるため、自分が担当する新郎新婦には必ず付いていなければいけないんです。だから休日はすべて仕事になる。

では平日はというと、朝から晩まで数ヵ月先の挙式予定の人たちの打ち合わせが入っているんです。結婚式の打ち合わせは最低でも3、4回は来ていただく必要があるので、平日の多くの時間が打ち合わせに割かれていました。それに加えて、直近の結婚式の引き出物を発注したり、招待客に食物アレルギーの方がいるというような重要な情報を関係部署に伝えたり、サプライズ演出を考えたり……。

朝の7、8時に会社に来て、深夜2時まで仕事して会社のカギを締めて帰るというような働き方をしていたら、いつも何かに追いかけられているような感じになり、3年くらいで燃え尽きて会社を辞めることになりました。

いま思えば、大好きな仕事だけに、私自身が折り合いをつけなければいけなかったと思います。働き方だけではなく、自分の立ち位置が、お客様側になりすぎてもいました。私には常に新郎新婦の願いを叶えたいという思いがあって、お客様が希望することはできる限り実現してあげたいと思っていました。

でも、そうすると料金がどんどん上がってしまう。そこはお客様に理解してもらわなければならないのですが、当時の私はどうやったら料金を下げられるか必死に考えて、自分からお客様に、このメニューは不要だよって言って削ったり、会社にもサービスできないかとかけあったりして。でも、上司からは「うちは会社だからね」とたしなめられたりするのがどうしても納得できなかった。……本当に若造だったなぁと思いますね。

Profile

小林さやか

こばやしさやか 1988年愛知県名古屋市出身。高2の夏に小学4年レベル、偏差値30の学力しかなかったが、その後、1年半で偏差値を40上げ、慶應義塾大学に現役で合格。卒業後はウェディングプランナーとして活躍、2014年にフリーランスに転身。2021年聖心女子大学人間科学専攻修士課程修了。現在は米国コロンビア大学教育大学院で認知科学を研究中。教育現場などでの500回以上の講演実績を持ち、2019年に恩師、坪田信貴先生とYouTube「ビリギャルチャンネル」を開設。教育エンタメ動画を配信している

リンクを
コピーしました