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スリバチ地形の魅力にめざめる 谷中銀座、へび道、一葉が住んだ菊坂をぐるり散策

【skill up】スリバチ状になった地形や町の高低差を歩いて楽しむ人が増えているようで、関連の書籍が人気です。その魅力について、地形愛あふれるフリーライターの浦島茂世さんにお聞きするともに、これから始めてみたいという方に向けてアドバイスをいただきました。

大のお気に入りのスポットである「夕焼けだんだん」の坂上に立つ浦島さん。(撮影 繁田統央)

無駄に上ったり下りたりして、ニヤニヤしている不思議な人たち

ナビゲーター役をお願いしたフリーライターの浦島茂世さんは、スリバチ本にコラムを執筆した経験もある大の地形好きだが、もともとはまったく興味はなかったそうです。地形愛に目覚めたのは、いまから15年前の2007年のことでした。

「当時、2016年の東京オリンピックの招致活動のお手伝いをしていて、東京の魅力を複数の視点でもって世界に発信するウエブの記事の執筆を依頼されたときに、『地形』という切り口で、東京の魅力を話してもらうことになったのが、東京スリバチ学会会長の皆川典久さんでした。正直に、『私、スリバチのこと、全然わからないのです』と話すと、『それなら今週末、池上本門寺でフィールドワークがあるので一緒にどうですか』と誘われ、参加してみました。

すると参加者の方が、お寺のある高台を無駄に上ったり下りたりして、ニヤニヤしているのです。『なにが楽しいのだろう』と最初不思議でならなかったのですが、一緒に歩いて同じ風景を見ていると、高台の上は日当たりがよくて、環境がよいので、お寺とか神社、大きなお家とかがある一方で、下の方は湿地だったり池だったりがあって、家の作りもずっと庶民的なことがわかってきました。高低差によって町の顔つきが違うのですよね。そのように高低差で東京の町を眺めることがとても新鮮に感じられ、一度ではまってしまいました」

いまはコロナ禍で控えめだが、その前はだいたい月に1回くらいスリバチ学会のフィールドワークがあり、それに頻繁に参加していたそうです。スリバチ探訪歴15年の浦島さんが、今回案内してくれたのは、谷中の夕焼けだんだんの坂上をスタートしたあと、名前の通りくねくねした「へび道」を歩き、根津裏門坂を上って日光御成道を南下、途中で右折し、白山通りまで下って、折り返して菊坂を上り、本郷3丁目の交差点に至る約4 キロのコースです。(下記マップ参照)

今回歩いたルートです。「S」がスタート地点、「G」がゴール地点。赤色が平たん地、青色が上り道、緑色が下り道を示しています。(国土地理院による地理院タイルに散策ルートを追記して掲載)

微高地や窪地、暗渠好きなど様々な切り口がある

夕焼けだんだんの坂上で浦島さんと待ち合わせました。目の前に谷中銀座のお店がまっすぐ並んでいるのが見渡せます。建物の3,4階分くらいの高さでしょうか。台地の上と下との段差がはっきりわかります。

「スリバチ好きと一括りにされますが、総称がそうであって、みんながみんな、スリバチ好きなわけではないのですよ。たとえば、微妙に盛り上がっている微高地や窪地、川の上に蓋をした暗渠が好きな人がそれぞれいて、苔が好きな人とかもいます。私はその中でも、はっきりした高低差が好きなので、夕焼けだんだんの坂の上は、都内の大のお気に入りのスポットのひとつです」

なんだか最初に浦島さんがフィールドワークに参加し、ぽかんとした気持ちがよくわかりました。

【go’in my way】どん底から踊ることで救われたベリーダンサーNONOさんの記事>はこちらから

湧水でみたされた須藤公園の池。(撮影 繁田統央)

まん延防止措置の期間ということで、人通りもまばらな谷中銀座を通り抜け、不忍通りに出ます。不忍通りは、夕焼けだんだんがあった上野の台地と東京大学キャンパスのある本郷の台地の間の低地を貫いています。へび道に行く前に、「オススメのスポットがある」ということで、本郷台地の際にある「須藤公園」を訪ねました。ご紹介が遅れましたが、今回の探索には、「高低差散策を楽しむバイブル」とのサブタイトルが付いた『東京23区凸凹地図』(昭文社)を携えて歩いています。この本の「達人たちが選ぶ見どころスポット」のひとつとして、須藤公園も紹介されています。

左が須藤公園付近の陰影図です。黒い筋が崖際で左が台地上、右が台地下になります。赤い丸の箇所が須藤公園です(国土地理院による地理タイルに関連スポットを追記して掲載)

専用アプリを使い昔の地図を確認

公園の案内板によると、加賀藩の支藩・大聖寺藩の下屋敷のあった場所で、見ると台地の際がスリバチ状に窪地になってえぐれ、そこからの湧水で池が満たされています。「これがスリバチかぁ」とちょっとした感動が味わえます。明治時代に実業家の須藤氏が所有し、その庭園部分を昭和8年(1933年)、当時の東京市に寄付したことで、公園になったそうです。

気が付くと、浦島さんはスマホでなにやら調べものをしています。

「昔は、台地の上も全部、須藤邸で、下の池のところだけを寄付したようですね。『東京時層地図』というアプリがあって、明治の初期から時代ごとの地図を見ることができます。『ここには昔、なにがあったのだろう』と気になったときに、昔のことがわかってとても便利ですよ」

調べてみると、iPhone、Androidそれぞれのバージョンがリリースされていました。

『皆のあらばしり』乗代雄介著 歴史マニア高校生VS「悪漢」 山城跡で繰り広げられる心理戦>はこちらから

くねくね続くへび道を歩いていく浦島さん。(撮影 二居隆司 以下、地理院タイル以外は同)
へび道の箇所を拡大してみました。黒い破線が区境で、右が台東区、左が文京区です。よく見ると、へび道と一部重複しています(国土地理院による地理院タイルに「へび道」の区間を追記して掲載)

へび道近隣住民の「お行儀のよさ」に感心

続いて、へび道を歩いてみました。藍染川の暗渠です。暗渠マニアには有名なスポットだそうです。車1台がやっと通れるくらいの狭い道が、谷中3丁目あたりから千駄木2丁目あたりまで約300m、くねくねとへびのように続いています。なんとも奇妙な道筋です。南に向かって歩いていると、道の左(東側)は台東区、右(西側)は文京区だということが、住居表示を見てわかりました。もとは藍染川が区境だったようです。

浦島さんは、道のわきの民家前にある鉢植えに見入っています。

「道路と家の間のスペースに植木鉢がみっしり並んでいて、下町度が高いですね。このあたりは、道にはみ出していないので、お行儀がいいですが、場所によっては、道にはみ出したりしているエリアもあります。下町といっても、エリアごとに、それぞれ特徴があって、それを観察するとおもしろいですよ」

「このあたりの人はお行儀がいいですね」と浦島さんは感心していました。

東京の坂ならではのダイナミックな上り下りを堪能

ここまでずっと谷筋を歩いてきましたが、これからは上り坂です。不忍通りから根津神社の北側を抜ける根津裏門坂を上っていきます。5分ほど上ると、本郷台地の尾根筋にあたる日光御成道に出ます。そこを左折します。進行方向の左側に東京大学のキャンパスが長く連なっています。右側には寺がいくつか並んでいます。

本郷弥生の交差点を右折して道を下り、白山通りに向かいます。ちょうど本郷台地を上って下りて横切った形になります。下りた先、白山通りに着く手前に菊坂の上り口があるので、そこを左に折れて、再び上っていきます。東京の坂ならではのダイナミックな上り下りを堪能することができました。

菊坂下からのながめ。本郷台地の上までゆるやかな坂が続いています。

途中、浦島さんが歩道脇の区の掲示板をしきりに見つめていました。そういえば、へび道を歩いているときも、同じようなことをしています。

「掲示板を見ていると、その地域の問題点とかが見えてくるのです。たとえば、オレオレ詐欺の注意喚起とかあると、お年寄りの多いところなんだなとか、『外国人と仲良くしよう』とあると、外国の方が多いのだなとか。それらを通じて、『地域として安定している』とか、『意識の高い住民が多い』とか、地域の事情を知ることができて楽しいのです」

菊坂近辺の陰影図(左)。本郷台地に刻まれた坂道がよくわかります。(国土地理院による地理院タイルに必要ルートに色を追記して掲載)

【skill up】LGBT検定®で多様性を理解し、受け入れる姿勢を身に付ける>はこちらから

ご近所さん同士だった樋口一葉と正岡子規

樋口一葉が住んでいた菊坂を上り、途中で右折して一度谷底に下りたあと、再び階段状の炭団坂を上ります。すると、かつて旧松山藩の子弟のための寄宿舎だった常盤会の建物があった場所に着きます。ここに正岡子規が明治21年(1888年)から3年ほど住んでいました。見下ろすと、見事なスリバチが目の前に広がっています(トップ写真参照)。台地の上と下に分かれますが、ほぼ同じ時期に、一葉と子規が近所に住んでいたのです。ふたりは菊坂あたりですれ違ったりしたのでしょうか。最後は、春日通りを経由して、ゴールの本郷3丁目の交差点に着きました。この間、ほぼ2時間。時間はそれほどではないにしても、本郷台地を上り下りしたので、ほどよい疲労感があって、気分もすっきりです。

地形を知ることで世界と視野が広がる

道中、いろいろお話を聞いたところ、麻布・六本木、渋谷、白金・五反田、白山・小石川、赤羽あたりが、スリバチ探訪の定番オススメスポットだそうです。

これからスリバチ探訪を始めようという方に、浦島さんからアドバイスをいただきました。

「私自身もそうでしたが、地形のことを知ると、世界と視界が広がります。最初からフィールドワークに参加するのはハードルが高いと思うので、まずガイド本とかを持って1人で歩いてみることをお勧めします。すると、いろんな発見があって、もっと地形のことを知りたくなるはずです。それからフィールドワークに参加されるとよいと思います。本格的な会でなくて、カルチャーセンターの講座でもかまいません。GPS付きのロガーで記録をとって、あとで歩いた跡をたどってみるのも楽しいですよ」

スリバチ探訪で、東京の町の魅力を再確認してみてはどうでしょうか。これまでの世界が広がり、きっと新たな気づきに出会えるはずです。

【浦島茂世さん プロフィル】うらしま・もよ 神奈川県鎌倉市出身。美術ライター。大学で美学美術史を専攻し、制作会社勤務を経てフリーランスに。時間を見つけては美術館やギャラリーへ足を運び、国内外の旅行先でも美術館を訪ね歩く。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』『企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり』『猫と藤田嗣治』など。文化庁文化審議会博物館部会委員を務めるほか、講演やカルチャーセンターでの美術講座講師など、美術の楽しさを伝える活動を精力的に行っている。

Profile

二居隆司

読売新聞に入社以来、新聞、週刊誌、ウェブ、広告の各ジャンルで記事とコラムを書き続けてきた。趣味は城めぐりで、日本城郭協会による日本百名城をすべて訪ねた。

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