街頭の展示告知パネルにプリントされたマリオ・ジャコメッリがホスピスの人の姿をとらえた 〈やがて死がやってきてあなたをねらう〉(1954-1968年頃)(撮影・高橋直彦)
知的好奇心あふれる『マリ・クレール』フォロワーのためのインヴィテーション。それが”what to do”。今回は、「写真」というメディアを通して「死」について想いを巡らせてみたい。写真が宿命的に内在している死の痕跡を、東京都写真美術館で開催中「メメント・モリと写真」展が伝えてくれる。10月8日から町田市立国際版画美術館で始まる「版画×写真 1839-1900」展でも、発明の初期段階から写真は死の影を帯びていることを感じられるだろう。もっとも、辛気くさくなることはない。「死」という運命を、写真を通して自覚することで、何気ない日常の時間のかけがえのなさを見つめ直すきっかけにもなるからだ。
「死を想え」という意味のラテン語「メメント・モリ」。これを東京都写真美術館で開催中のコレクション展のタイトルにするとは、「直球勝負」だと思った。ヴァルター・ベンヤミン、ロラン・バルト、そしてスーザン・ソンタグら、重要な写真論を物にしてきた思想家の指摘を待つまでもなく、写真というメディアは「過去を切り取る」という意味で必然的に「死」を内包しているからだ。ソンタグが主張したように「写真はすべて死を連想させるもの(メメント・モリ)である」。

だから、同館が所蔵する3万6899点のコレクション(2022年3月末時点)の多くを占める写真作品のいずれを展示しても「メメント・モリと写真」展は成り立つことになる。それをどのようにキュレーションするか、企画担当者の腕の見せ所でもある。で、どうしたか? 「メメント・モリと『死の像』」と題した序章で、国立西洋美術館が所蔵するハンス・ホルバイン(子)の「死の像」の連作25点を展示したのである。1523-26年ごろの木版画で、「死」が視覚的な表象として複製され、一般に共有されていった。それと同じ機能が約300年後に発明される写真というメディアにも引き継がれていたことを雄弁に物語る。流石!

日本でも、死体が腐敗し白骨となるまでを九つの相で描いた「九相図」や、人間の業によっておもむく6種の世界を描いた「六道絵」、あるいは亡くなった人を阿弥陀仏が迎えに来る姿を描いた「来迎図」などが平安時代以降、描かれた。こうした絵も『死の像』に先立って「メメント・モリ」を促すが、今展には写真と似た複製表現でもある「死の像」がしっくりとくる。
【関連記事】「シャネル・ネクサス・ホール」でオートクチュールの職人たちの“手”にフォーカスした写真展がスタート!

序章に続き、「メメント・モリと写真」「メメント・モリと孤独、そしてユーモア」「メメント・モリと幸福」というコーナーで会場を構成。近代化によって変わりゆくパリの街並みを記録し続けたウジェーヌ・アジェ、戦場の激烈さを撮影したロバート・キャパや澤田教一、そしてホスピスで暮らす人たちを撮影したマリオ・ジャコメッリら、写真家17人による計124点を展示している。いずれも著名な作家ばかりで、死を直接表現した作品はむしろ少ない。「メメント・モリ」というキーワードがなければ、コレクションの「オールスター」展示と言ってもいいほどだが、全体的に静謐なトーンに包まれているのが特徴だ。

