街頭の展示告知パネルにプリントされたマリオ・ジャコメッリがホスピスの人の姿をとらえた 〈やがて死がやってきてあなたをねらう〉(1954-1968年頃)(撮影・高橋直彦)
作品が内包する「死」の刻印に眼を凝らすだけでなく、「写真はすべて死を連想させる」のだとしたら、「こんな作品があってもいい」と思いながら展示を観ても面白いだろう。例えば、今回、展示されている牛腸茂雄の『日々』(1967)からの作品。いずれも味わい深いが、『Self and others』(1994)の表紙に使われている濃霧の中を走り去る子供たちの写真も合いそうだ。さらに収蔵されているのかわからないが、ポール・フスコの『RFK』(1993)も並べて観てみたい。これは暗殺されたロバート・ケネディの遺体を運ぶ列車に乗り込んで、それを見送る沿道の人々を撮影した写真。あるいは家族のプライヴェートな遺影こそ、今回の展示に相応しいと思った人もいるかもしれない。もっとも、それを言い出したら切りがない。企画担当者も展示作品の取捨選択にはきっと悩んだはずだ。

『メメント・モリ:死を想え』から作品を展示している藤原新也さんが今展の図録に「メメント・モリとは何か。」というエッセイを寄せている。近代の資本主義が発達する中で、忌むべきものとして隠蔽されてきた「死」が、さまざまな災害やパンデミック、そして戦争などによって排除できなくなりつつある時代に私たちが生きていることを指摘している。

その点で「メメント・モリ」をテーマにした展示は時宜に適った企画なのだろう。展示を見終わっても気分が滅入ることがない。むしろ、清々しい気持ちにさえなる。さまざまな写真を通して「メメント・モリ」を感じ、何気なく過ごしていた日常のかけがえのなさに気づかせてくれるからだ。