Culture
怒。
鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【サクランボを見ると幸せになるフランス人】
2022.6.2 / marie claire
フランス文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんによるエッセイをお届け。愛猫のグリ(シャルトリュー 10歳・♀)とともに今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語ります。今回は旬のフルーツ、サクランボがテーマです(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)
恋の季節の到来
フランス人に何かものを頼むようなことがあったら、5月か6月にかぎる。フランスでもっとも気候のいい季節であるばかりか、もうじき人生の生きがいであるヴァカンスがやってくるということで、だれもが寛容になっているからだ。
反対に、ヴァカンスの終わる晩夏は、フランス人の全員がトゲトゲしくなり、陰気な顔をしている。この時期はフランス人との交渉は避けるべきだ。
ところで、フランス人が一番幸せと感じるこの5月・6月という季節は「サクランボの実るころ」と重なる。というよりも、4月末の街角にサクランボ cerises が並ぶのを見たとたん、フランス人の心の中では「幸福感」のボタンが押され、その多幸状態が2、3ヵ月は続くのである。
そうした幸福感の象徴のようなのが、サクランボの実る郊外の森だ。木々のあいだからは陽気なナイチンゲールやツグミの声が聞こえる。美人は突然激しい情熱を頭に感じ、恋する男は心に太陽を抱くようになる。恋する二人は夢見ながらサクランボの耳飾りを摘みに出掛ける。緑の葉の下、愛のサクランボは血の滴(しずく)のようにしたたり落ちる。
イラスト◎岸リューリ
だが、このサクランボの季節、人生の幸福の季節は本当に短い。あっというまに過ぎ去ってしまう。しかしそれでも、それでもやはり、サクランボの季節のことを忘れることはできない、たとえ、心に大きな傷が刻まれてしまったとしても……。
すでにお気づきのように、これは、ジャン=バチスト・クレマン作詞のシャンソンの名曲『サクランボの実る頃』をパラフレーズしたものである。この歌を十八番にしているコラ・ヴォケールの歌詞はこれとは若干ことなり、最後に「美人は避けなさい Evitez la belle」というルフランがくる。
『サクランボの実る頃』は1871年のパリ・コミューンののちに愛唱されたので、コミューンの敗北を歌ったものと思われているが、クレマンが作詞したのは1866年で、純粋な愛の歌だった。この点は60年安保後に『アカシアの雨が止む時』が挫折の歌として歌われたのと似ている。
いずれにしても、フランス人にとって「サクランボの季節、幸福感、恋の芽生え」という三位一体は、秋から冬の陰鬱(いんうつ)な季節の労働や病気に耐える力を与えてくれるものらしい。
【グリの追伸】眠たいとき、機嫌が悪いとき、カメラを向けられてポーズを取らされるのは最悪です。そんなときは思いっきり睨んでやります。
最悪です
text&photos by Shigeru Kashima
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