Culture
鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【かつて日傘は権力の象徴だった。では雨傘は?】
2022.5.22
フランス文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんによるエッセイをお届け。愛猫のグリ(シャルトリュー 10歳・♀)とともに今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語ります。梅雨も近づき、雨傘が欠かせない時期になりました。しかし、そもそもは雨の日に傘をさす習慣はなかったそうなのです。その理由とは?(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)
ジャン・ギャバンもアラン・ドロンも傘をささない
仏文の大学院生のころ、留学を終えて帰国した友人と待ち合わせをしたところ、その友人が大降りの雨の中を傘もささずレインコートだけで現われた。驚いて尋ねると「いや傘はささないことにしているんだ」という答え。フランス人は少しぐらいの雨なら傘なしですますという話である。
たしかに、そう言われてみれば、フランスのギャング映画ではジャン・ギャバンもアラン・ドロンも傘をさしてはいない。爾来(じらい)、フランスの図版資料にあたるときには、傘について注意を払うようになった。
で、どんなことがわかったかというと、同じ傘でも日傘のほうは太古の昔から権力の象徴として使われていたが、雨傘というのは意外や意外、近代の発明であるということだ。
1750年、イギリスの博愛家ジョナス・ハングウェイ卿が雨傘をさしてロンドンの町を歩いたところ、変人扱いされて新聞にも取り上げられたというから、少なくとも、そのころまではフランスどころかイギリスでさえ雨傘は一般的ではなかったのである。
もっとも、まったく存在していなかったわけではなく、貴人が玄関口から馬車に乗るまでのあいだに、召使が傘を広げて雨をふせいでいる図はときどき見つかるから、なかったのは雨傘ではなく雨傘をさして歩く習慣だったのだろう。
イラスト◎岸リューリ
ではなぜ、雨傘をさして町を歩く習慣が生まれなかったか?
歩くのは低所得者で、貴族は馬車に乗るという長いあいだの伝統があったからだ。
なるほど、馬車があれば雨傘はいらないし、所得の少ない人は高価な傘を買うことはできない。したがって、雨傘をさすという習慣は、貴族と低所得者のあいだの階級すなわちブルジョワジーが誕生して初めて生まれたものなのである。
1830年の革命で誕生した七月王政の国王ルイ=フィリップはみずからのブルジョワ性をアピールするためにどこに行くのでも雨傘を欠かさなかったといわれるが、それはこうした背景があったからである。
ただ、フランスではルイ=フィリップの「努力」にもかかわらず、雨の日に雨傘を「さす」という風習はなかなか定着しなかったらしい。それでも雨傘屋はかなり繁盛していたようで、新聞などに広告は出ている。なぜだろう?
おそらく、イギリスかぶれのブルジョワ紳士たちがステッキ代わりに雨傘を「持ち歩いた」ため、象牙、角その他のめずらしい素材の雨傘の「柄」が一種のステータス・シンボルとなったからだろう。フランスのブルジョワ階級にとって、雨傘は雨の降らない日のためのものだったのである。
【グリの追伸】インタビューアーが見えられると、古書の背革をカリカリしたりしないのかという質問をされることが多いようですが、ご安心を。今まで一度もそのようなことはございませんでした。猫は本を大切にする動物なのです。
安心してください
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