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鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【フランス生まれ、イギリス育ちのジャム】

Bonjour!

フランス文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんによるエッセイをお届け。愛猫のグリ(シャルトリュー 10歳・♀)とともに今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語ります(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)

政府の命令で明かされた秘法


「うちのおふくろの漬物は日本一だ」と日本人がいうように、アメリカ人は「うちのおふくろのパイはアメリカで一番だ」というらしいが、フランス人なら、さしずめ「うちのおふくろのジャムはフランス一だ」というだろう。それもそのはず、フランスの家庭では、いまでも2人に1人の主婦が自家製のジャムを作っている。

ところで、ジャムのことはフランス語ではコンフィチュール(confiture)という。漬物と同じく「漬ける」という意味の動詞コンフィール(confire)から作られた言葉で、元来は、シーズンが終わったあとも果物を食べるために砂糖漬けにしておく保存食のことを指していた。

これが、今日のようなジャムに変わるきっかけとなったのは、1810年に、時のフランス内務省が、パリのお菓子屋ニコラ・アペールに、1万2000フランの褒賞金と引き換えに、保存食料製造の秘法を記した本を刊行するよう命じてからのことである。アペールは、菓子製造の過程で、広口ビンに詰めた果物に砂糖を加えて加熱すると、発酵が妨げられて長い保存に耐える食料品になる事実を発見していたので、ナポレオン戦争で保存食の開発を急いでいた政府がこのアイディアに飛びついたというわけである。

アペールの本が世に出ると、ビン詰め会社がすぐに製造を始めたが、なかで完璧なかたちで工業化に成功したのは皮肉にもフランスと交戦中のイギリスの食品会社だった。海洋国家のイギリスではビン詰め食料やジャムの需要が大きかったからである。味にうるさくないイギリス人は、加工品のジャムでも大目に見たのかもしれない。いまでも、英語では加熱殺菌法のことをアペールにちなんで「アパータイジング」と呼んでいる。

イラスト◎岸リューリ

いっぽう、本家のフランスはというと、アペールの方法は、もっぱら農家で、作りすぎて余ったり、形が悪くて売り物にならない果物を無駄なく使うために用いられた。とりわけ、簡単にジャムが作れる密封ビンが売りだされてからは、ほとんどの家庭でジャムが自家製造されるようになった。この方法でジャムを作ることが、締まり屋で、画一的な味を嫌う国民性にぴったりと合ったからである。「おふくろの味」はジャムの味なのだ。

もっとも、最近では、フランスでも都市化が進み、加工品のジャムですませる家庭が多くなった。フランスで一番有名なジャム・メーカーの製品名が「おばあちゃんのジャム」というのは「おふくろの味」もノスタルジーの対象になりつつあるということを象徴しているのだろうか。

【グリの追伸】ポートレートを撮るのはいいんですけど、全身はねえ…。こう見えてもネコ年齢で10歳ですから…。

何を隠そう立派なシニア

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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