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鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【赤ちゃんの産着、始まりはナポレオン】

Bonjour!

フランス文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんによるエッセイをお届け。愛猫のグリ(シャルトリュー 10歳・♀)とともに今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語ります(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)

明治時代に皇室が取り入れ、やがて民衆へ

世の中には、まるで尾てい骨や盲腸のように、なぜこんなものがと驚くようなものが不思議なところに不思議なかたちで生き延びている。日本で、生まれたての赤ちゃんに着せる産着(うぶぎ)とベビー頭巾(フード)などはその典型だろう。この産着とベビー頭巾は、そのルーツをたどってゆくと、フランス大革命からナポレオン帝政にかけて流行したディレクトワール・スタイル (style Directoire) と呼ばれる女性ファッションに行き着く。

この時代まで上流の女性はコルセットで胴を締めつけ、塔のように髪の毛を盛り上げるマリー・アントワネット様式の大袈裟さ(おおげさ)なファッションを身にまとっていたが、シーザーに憧れるナポレオンの影響でギリシャ・ローマ熱が広まると、コルセットを脱ぎすて、ギリシャ風と称する、下着のように薄いハイウェストのドレスを着るようになった。そして、それに合わせて、頭には、それまでは庶民の女性のものだったボネ(bonnet) と呼ばれる布製の縁なし簡易帽をかぶったが、これこそが日本のベビー頭巾の元祖なのである。もちろん、産着のほうもこの時代のハイウェスト・ドレスそのものである。

イラスト◎岸リューリ

では、ナポレオン時代のドレスとボネが、どこをどう経由して、今日の産着として生き延びたのかというと、これが案外複雑なのである。

まず、この時代までヨーロッパには産着という概念がなかったことを確認しておかなければならない。なぜなら、ヨーロッパでは、赤ちゃんというものは体がぐにゃぐにゃだからしっかり固定させてやらなければいけないというので、包帯で体をぐるぐる巻にしていたからである。

この包帯巻はルソーの批判で革命期に急速にすたれ、ナポレオン時代には、赤ちゃんにも大人服を縮小した衣装を着せるようになった。だから、ヨーロッパに最初に現われた産着がディレクトワール・スタイルなのである。

ところで、ボネにハイウェスト・ドレスというこの産着のスタイルは、見栄えのいい割に体に楽なので、その後、大人のファッションがふたたび拘束的になっても、19世紀のあいだはほとんど変化しなかった。そのため、明治時代に日本の皇室が西欧のライフ・スタイルを採用すると、このディレクトワール様式の産着が日本にそっくりそのまま輸入され、やがて民衆のあいだへと広まっていったのである。

今日の日本の赤ちゃんがジョゼフィーヌと同じ格好をしているというのも、考えてみれば妙な話ではある。

【グリの追伸】ダンボールって、なんで気持ちが落ち着くのでしょうか? 小さいときの記憶でもあるのでしょうか?

幸せ♡

photos by Shigeru Kashima

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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