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【鹿島茂 『パリのパサージュ』】vol.10 パリで最後の、そして最高のパサージュ アルカード・デ・シャン=ゼリゼ

フランス文学者の鹿島茂さんの案内で楽しんできたパリのパサージュを巡る旅も今回が最終回。ご紹介するのはパサージュを愛する鹿島さんをして、最も豪華絢爛、そして最後のパサージュと言わしめる「アルカード・デ・シャン=ゼリゼ」です。 ※本記事は鹿島茂:著『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(中公文庫)から抜粋し再編集しています

高級住宅街を新興マネーが買収

厳密な意味ではパサージュとはいえないが、パサージュの概念を援用して開発された最も豪華絢爛たる、そして最後のパサージュである。パリに残る「アール・デコ」の残映として記憶さるべきものである。

シャン=ゼリゼ地区は、第一次大戦以前のベル・エポックには、商業地区というよりも、むしろ高級住宅街だった。すなわち、シャン=ゼリゼ大通りは、第二帝政および第三共和政で巨万の富をなした大富豪の邸宅が並び建ち、高級馬車や高級自動車に乗った貴顕紳士淑女がこれみよがしに富のありようを衒示(げんじ)する空間であり、そこで支配的だったのはなによりもまずエレガンスと趣味の良さだった。

ところが、第一次世界大戦を境に、『失われた時を求めて』に描かれたようなエレガンスと趣味の良さを基準にする社交界は崩壊し、シャン=ゼリゼもまた商業資本のターゲットになり、大邸宅は新興マネーに買収されて商業施設に変えられてしまう。


「狂乱の年月(レ・ザネ・フォル)」と呼ばれた1920年代の半ば、モンマルトルの巨大デパート「デュファイエル」の経営者だったジョルジュ・デュファイエルが1905年に建てた超豪邸(設計はギュスターヴ・リーヴ)が売りに出された。シャン=ゼリゼ大通り78番地にあったこの邸宅を手に入れたのは、「真珠王」として権勢の頂点にあったレオナール・ローゼンタール。ローゼンタールは、邸宅の敷地が間口が狭い割に、奥行きがあるウナギの寝床式であることに頭を悩ましていた。そのうちに、突然、アイディアがひらめいた。「《これは廊下だな》と私は思った。だが、すぐに思い返した。《いや、これぞまことのパサージュじゃないか! 両側に店を建てたらどうだろう? パサージュだ、パサージュだ!》」(ルモワーヌ『ガラス屋根のパサージュ』に引用)

ようするに、ローゼンタールは新興の繁華街であるシャン=ゼリゼに、パサージュの概念を甦らせて、アール・デコ芸術の粋を集めたような超豪華な商業施設を創りだそうと考えたのである。

ローゼンタールは、当時、20世紀随一の建築家といわれたシャルル・ルフェーヴルに設計をゆだねた。ルフェーヴルは工事途中で世を去ったので、残りは弟子のジュリアンとデュアイヨンが仕上げた。

なにしろ、時代は、20年代バブルの真っ盛りだから、惜し気もなく資金が投入され、工事総額は6000万フラン(現在の貨幣価値に換算して300億円)にも上った。パサージュの完成に協力した芸術家の顔触れも豪華版で、彫刻はマルタン、鋳鉄装飾はルネ・ゴベール、天井のガラス装飾はジャコポッジ、ガラスの噴水はルネ・ラリックというものだった。 

ジャコポッジによる見事な天井装飾

時代に逆行する豪華さの極み

開通式は1926年の10月1日、3000人の招待客を前にして執り行われた。

当時のレポーターは「シャン=ゼリゼにパサージュとは、向こう見ずの時代錯誤であり、大胆な新機軸である」と称したが、たしかにこの評言は、こんにちのアルカード・デ・シャン=ゼリゼの中を歩いてみても十分に感得できる。
アール・デコ芸術というのは、機能美などというのでは全然なく、直線や図形などといった「機能的なるもの」を装飾に使ったバロック芸術なのであり、ル・コルビュジェ的な簡素さの美学とは無縁なものなのである。この点をマルセル・ザアールはこう指摘している。

「ジュリアンとデュアイヨンは、同時代人と同じく20世紀という鉄筋コンクリートの世紀に属しているにもかかわらず、そこから逃げ出して、過去の中から時代遅れのフォルムを都合よく落ち穂拾いしている」(前掲書に引用)

ひとことでいえば、アルカード・デ・シャン=ゼリゼは、アール・デコの衣装をまとったガルニエのオペラ座であり、ひたすら豪華さを狙うと悪趣味とすれすれのところに落ちるという典型なのである。

パサージュの両側に並んだテナントのショーウィンドーも、大西洋横断客船の装飾を担当したパトゥーとリュールマンに任されるという凝りようで、赤大理石の円柱からなる回廊も、「ドーダ、参ったか!」的な豪華趣味をよくあらわしていた。

また、地下には、これまた贅沢を絵に描いたようなプールやマッサージ・ルーム、バーなどが設けられ、1929年にオープンした世界最高のキャバレー「リド」の絢爛たるショーが貴顕紳士たちを迎えていた。アルカード・デ・シャン=ゼリゼは、今日でも地図などには「アルカード・ド・リド」という名前で載っているが、それはこのパサージュがリドの前庭と意識されていたためである。「リド」は、いまではシャン=ゼリゼ大通り116番地に移転して、あとには「クラブ78」というディスコが入ったが、このディスコもいまは閉店している。

こんにち、パリで最後の、そして最高のこのパサージュを歩くと、アール・デコの超豪華装飾の「遺跡」という感じがする。18世紀の廃墟画家ユベール・ロベールが、もしタイム・マシンに乗ってアルカード・デ・シャン=ゼリゼに姿を現したら、ひどく絵心を刺激されるにちがいない。

パリのただ中にニューヨークが現れたよう


たんに装飾が古びているというばかりではない。

テナントにはいっていた一流のブティックはすべて去り、いまは旅行客相手の土産物屋や二流のプレタ・ポルテ、それに上品な(そして、多少エロチックな)ランジェリー・ショップばかりになり、全体にほどよい「寂れ」感が出てきている。素晴らしいアール・デコ装飾なのに訪れる人はほとんどおらず、「落魄(らくはく)」の雰囲気が漂っている。

現在は、スターバックスコーヒーが中央フロアーに入居し、リニューアルの機運が漂ってきているようである。是非、この機会に訪れてみることをお薦めしたい。

photos: 鹿島直(NOEMA Inc. JAPAN)

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Profile

鹿島茂

かしま しげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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