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【what to do】1990年代は回顧の対象たり得るか? ファッションや映画など、様々な表象文化を通じて思いを巡らせる

映画アーカイブには今、1990年代を追体験する絶好の環境が整っている(撮影・高橋直彦)

知的好奇心あふれる『マリ・クレール』フォロワーのためのインヴィテーション。それが”what to do”。今回は「1990年代」という近過去を振り返ってみたい。ほんの最近のことのような気もするが、90年生まれの人が今年32歳になるわけだから、それなりの時を経ていることになる。実際、映画やアートなどでこの年代を振り返る催しが相次いで開かれている。それにしても、今なぜ90年代なのか?

先日、銀座の街を歩いていて、「The New 90s」と大きく表示されたGAPのショーウィンドーを見かけてハッとした。欧米のコレクションではここ数シーズン、ゆったりとしたシルエットのストリートファッションや、所々生地のすり切れたグランジといった90年代風の流行を今風に提案するブランドが目立ち、古着の専門店でも90年代の服を探して愛用する若者が増えていると聞いていた。その波が、より多くの人がアクセスできるファストファッションにも及んできたわけだ。筆者にとって、「ほんの少し前のこと」でしかなかった90年代が、若者たちを中心に新鮮な時代として受け取られていることに正直、少し驚いた。

若者には新鮮に映る90年代ファッション

銀座で見かけた90年代ファッションのディスプレー。ジーンズなどのゆったりしたシルエットが特徴らしい(撮影・高橋直彦)

90年代半ば、カリスマ的な存在だったのは安室奈美恵。厚底ブーツにチェックのミニスカートを合わせた彼女のスタイルを真似た「アムラ-」も登場し、このころから流行がアパレル業界主導ではなく、街行く人や人気ブティックの店員の装いから生まれるようになった。ナイキの「エアマックス95」というスニーカーが爆発的な人気になったのもこのころのことだ。

「アーリー90’s トーキョー アートスクアッド展」は展示と共に、当時のアーカイブを閲覧出来るコーナーも印象に残っている(撮影・高橋直彦)

90年代を振り返る催しがアートでも

アートでも近年、90年代を振り返る企画展が相次いで開かれている。2020年に開催された「アーリー90’s トーキョー アートスクアッド展」(アーツ千代田 3331)や、21年に開かれた「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989-2019」(京都市京セラ美術館)が典型的な企画だろう。後者は経済的な停滞と未曽有の災害に見舞われた「平成」という時代に焦点を当てているが、展示を三つの時代に分け、最初を1989年から2001年までとし、ほぼ90年代の動向を振り返っている。いずれも大きな流れに束ねられず、活動が多中心化し、細分化していることを紹介していたように記憶している。

過去30年のアートシーンを振り返る「平成美術」展には若い観客が目立った(撮影・高橋直彦)

映画で90年代を回顧する意欲的な試み

そんな90年代の息づかいを生々しく感じることのできるイベントが国立映画アーカイブ(東京・京橋)で開かれている。「1990年代日本映画――躍動する個の時代」。5月1日まで、57プログラム計66本を上映している。同館によると、この時代を映画によって回顧する世界初の試み。小口詩子監督や和田淳子監督による実験的な短編から、『A』(森達也監督、1998)のような記録映画、そして当時の興行記録を塗り替えるほど大ヒットした『もののけ姫』(宮崎駿監督、97)まで実に多彩なのだ。

『もののけ姫』(97) ©1997 Studio Ghibli・ND

ところが、プログラムを眺めていて不思議な気分になった。当時、筆者は30歳代。最も熱心に映画を見ていて、好奇心も旺盛で体力もあったはずなのに、見落としている作品が結構あったのだ。その不甲斐なさに滅入ったが、どうやら仕様がないことらしい。

上映のプラットフォームが劇的に多様化

今回の上映プログラムを企画した同館特定研究員の森宗厚子さんがその理由を説明してくれた。90年代に入ると、レンタルビデオ店専用のオリジナルビデオ(OV)作品が爆発的に増え(90年のOV作品数が66なのに対し、99年は378!)、テレビドラマとして放映された後に映画館で公開される作品もあり、上映のプラットフォームが劇的に多様化し、自分のような一映画ファンでは全ての動向に追随することが難しくなった。

同館でも当初、80年代と90年代をひとまとめにしたプログラムを考えたが、調査を進める過程で80年代に進み始めた多様化が90年代に入ってさらに圧倒的な勢いで広がっていたことが分かり、年代を区切って上映することになった(80年代のプログラムは「1980年代日本映画――試行と新生」として21年に上映された)。様々な意味で多様化が進む一方、90年代はシネマコンプレックスが全国に普及し、米・ハリウッドの大作が日本市場を席巻した「洋高邦低」の時代でもあった。

自宅の書架の片隅から出てきたレトロスペクティヴのパンフレット類。いずれも90年代に開催されたものばかり(撮影・高橋直彦)

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そう言われると、確かに思い当たる。90年代、主に見ていたのは洋画だった。ハリウッドの大作も楽しんだが、ビデオ化を前提に欧米の映画監督を中心にマニアックな回顧上映も相次いで企画されたと記憶している。それこそ、映画アーカイブの前身となるフィルムセンターで、ジャン・ルノワールやハワード・ホークスの回顧上映が行われたのも90年代だったはず。それらを追いかけるのに精一杯で、足元の日本映画を数多く見逃してしまっていたのだ。

『OL忠臣蔵』(97) ⓒ光和インターナショナル

女性監督が活躍し、女性の社会進出も描かれた

その意味でも、今回のプログラムは面白い。何しろ、まだ生々しいのだ。実際、上映に監督やスタッフが同席していて、上映後に挨拶のため登壇することも度々あった。自作の上映後、トークショーに参加した小口監督も90年代に自主映画のコンペティションで作品選定を手伝っていて、「100点応募があれば、100通りの描き方がされていて、本当に多彩で面白い時代でした」と話していた。実際、プログラムには、性的な指向も含めて価値観が多様化していく様子を描いた作品も多い。小口監督のような女性監督の活躍が目立ち始めたことに加え、女性の社会進出を描いた作品も90年代日本映画を特徴付けている。企画担当者による、バランス感覚に長けた作品選択を高く評価したい。そのおかげで、自分の中で曖昧だったり欠落したりしていた90年代の輪郭が徐々に浮かび上がってきた。

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『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』(98) ©旦々舎

客席に目立つ若い世代や女性の姿

いつもなら中高年男性が目立つ客席にも、今回は若い世代や女性の姿が目立つ。自らの記憶を辿りながら懐かしさを実感できるのだろう。西島秀俊や井浦新(ARATA)、西田尚美ら人気俳優のキャリア初期の作品目当てに訪れるファンもいるという。ちなみに、プログラム最終日の5月1日には、3月21日に早世した青山真治監督の『Helpless』(96)が上映される。4月中旬の上映の際には終映後、追悼の拍手が客席から自然に起き、不意に目頭が熱くなった。青山ファンはもちろん、若々しい浅野忠信の不敵な演技も堪能できる。未見の人も90年代の映画を世界的に代表する繊細な映像に眼を凝らしてほしい。

『ワンダフルライフ』(99) ©「ワンダフルライフ」製作委員会

作り手も受け手も「個」が突出した時代

プログラムのサブタイトルにもあるように、上映を通して作家が個人として際立つ「個の躍動」も実感することができるはずだ。もっとも、それは作り手側の話だけではなく、私たち、受け手側についても言えるのかもしれない。そんなことを思わせる展覧会「日本の映画館」(~7月17日)が同館で折良く開かれている。こちらは90年代に広がったシネコン登場以前の「観客の映画史」を辿るユニークな企画。中でも80年代以降広がったミニシアターを紹介するコーナーが面白い。そうしたミニシアターの上映作品によって観客の好みが細分化し、現在のネット配信につながっていった。映画の受容史も、暗闇の空間に見知らぬ人々が集って銀幕を一斉に見つめる形態から、各々の液晶端末で好きな時間に好きな場所で映画を見る「個」の時代になっているのだ。

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「日本の映画館」展でミニシアターを紹介したコーナー。80年代のものが中心だが、その流れが90年代につながっていく(撮影・高橋直彦)

「90年代日本映画」の楽しみ方をもう一つ。「90年代」といっても95年を境に日本の世情は大きく変わる。その年の1月17日に阪神大震災が発生し、3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたからだ。これらの出来事は、比較的平穏だった「戦後」が永続しないという現実を私たちに突きつけた。しかも、この年にはウィンドウズ95が発売され、コミュニケーションの手法が変わり始めた時期でもある。90年代初めの作品では、据え置きの電話や公衆電話が恋人との主な連絡手段だったが、後半に入ると携帯電話が普及し、インターネットを使いこなすシーンも出てくる。90年代末になると、現在の生活とそれほど異ならない通信インフラが整っていたことに気が付く。そうした95年を境に変わる日本社会を、映画を通して見比べるのも面白いだろう。大型連休も近い。筆者もあと数回は通うつもり。90年代をしみじみと回顧する愉しさを、『マリ・クレール』フォロワーと京橋の暗闇で共有したい。

お問い合わせ先

国立映画アーカイブ

Profile

高橋直彦

『マリ・クレール』副編集長。映画アーカイブでの1980年代日本映画の回顧上映の際も、それに先立つ形で2018年から19年にかけて国立国際美術館や静岡市美術館で80年代をテーマにした企画展が開かれた。美術展には風俗や流行を歴史として定着させる機能があるのだろうか。次は「2000年代」。すでにファッションではZ世代を中心に2000年ごろの流行を参照した「Y2K」と呼ばれる装いが広がっているという。果たして、この時代はどのように総括されるのか?

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