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ジョン・レノンとの結婚から55年。オノ・ヨーコの“主張するファッション”をひも解く

Susan Wood/Getty Images

オノ・ヨーコが真っ白なミニドレス姿で、1969年3月20日、ジョン・レノンと結婚してから55年。型にとらわれない結婚式スタイルの先駆者ともいえる彼女の“物言う”ファッションは、今もなおセンセーショナルである。マリ・クレール インターナショナルのイタリア版デジタル記事よりお届け。

オノ・ヨーコの“政治的ファッション”

ちょうどフェミニズムが主流になりつつあった頃、このアーティストはすでに女性の身体を芸術と抗議の媒体として使い、弱い自分をさらけ出し、女性にとっての衣服の役割とまではいかなくても、その価値に疑問を投げかけていた。

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バーグドルフ・グッドマン(ニューヨークの高級デパート)で一度に毛皮を70点、総額250万ドルも購入したというお買い物ツアーや、まれにだが貪欲なまでに熱狂したショッピングセッションのエピソードがなければ、2月18日に91歳になったオノ・ヨーコが真のファッショニスタだとは思わないだろう。しかし、音楽とコンセプチュアル・アート、公開写真と本業以外のプロジェクトに分かれた、数十年にわたる芸術家人生を子細に見てみると、その証拠を否定することはできない。ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーのアーティスティック・ディレクター、ハンス=ウルリッヒ・オブリストが彼女について語ったように、ファッションは重要である。特に「服装と彼女の積極的行動主義や政治との関係を切り離すことはできない」のだ。

オノ・ヨーコは話題満載な1969年の2人の結婚を祝して、3色(ブラック、ホワイト、ブライトピンク)のメンズウェア・コレクションをジョン・レノンのためにデザインした。彼女がジョンの体の中でもっとも魅力的だと考えていた部分に、メッシュのパネルやカットアウトなどを戦略的に配した衣服を特徴としたもので、その手描きのスケッチをジョンに贈ったという。

それは10年前にオープニング・セレモニーとのコラボレーションで、限定版として製品化された。「ファッション・フォー・メン:1969-2012」はLEDのジョックストラップ、肩に切り込みの入ったピンクのメッシュTシャツ、股間部分に黒い手形プリントが巧妙に配置された白いパンツなどを含んでいる。

このエロティックなメンズウェアのイラストを描いた数年前、『カット・ピース』と題された彼女の代表的なパフォーマンスは、もっと普通の服装に焦点を当てたもので、1964年に京都で初演され、1965年にニューヨークのカーネギーホールで上演された。

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この舞台での“ハプニング”は、物質主義の放棄に関する抽象的な批評として考えられたもので、あるいは寛大な自己提供の行為、フェミニズム批判、暴力への誘いとして他者から説明されている。オノ・ヨーコは、日本では伝統的にフォーマルな場での姿勢とされてきた「正座」でステージに座り、その間、観客は順番にハサミで彼女のドレスを切り落とした。ある人は威圧的に、またある人は攻撃的に、彼女のブラジャーのストラップをためらうことなく切り落とす男性のように。

Bettmann / Getty Images

当時から、彼女は非常に小柄な体形を維持しながら、堂々とした存在感を放ち、特別なオーラに包まれ、いつもその場を簡単に支配することができた。ジブラルタルの英国領事館で10分ほどで行われた結婚式の写真では、ベールもかぶらず、明らかにカジュアルで、花嫁としては伝統的ではない装いながら、リラックスして幸せそうに見えた。真っ白なミニドレスに、大きな日よけ帽、オーバーサイズのサングラス、ニーハイソックスにスニーカーを合わせ、全身ピュアなホワイトでそろえた普通の夏のコーディネートであるが、ただの花嫁ではない。

しかし彼女の職業、人生、主義を考えれば、オノ・ヨーコはファッションに関して、決してやりすぎではなかった。特にオードリー・ヘプバーンもまた、同じように快適な服装(ただし淡いピンク)で、ヒールは履かず、ミニスカートで、その年に結婚式を挙げていることを思えばなおさらだ。

もちろんジョンが好んだような小さなサングラスや、ダークなラップアラウンドのサングラス、そして長年愛用しているつばの広い帽子のように、彼女が何年もの間使い続けている小物を、一目で彼女だとわかるアイコンにしている。その他は、流行り廃りに関心のない多くのアーティストと同様、彼女はいつも同じ服を着て、日本人のルーツに忠実である。

何年にもわたって、アビエイターサングラス、スローガンTシャツ、革命的なキャップなどのユニセックスなスタイルから、ベスト、パンツ、Vネックトップ、ウエストをくびれさせ、バストを縁取るように仕立てられたメンズジャケットなど、きちんとした服をベースにした中性的なテーラードのシルエット、ほとんどいつも黒というスタイル、ファッションジャーナリストのKatya Foremanの言葉を借りれば、“アルファ・ウーマン”(リーダーシップを持つ、強く、成功した女性のこと ※編集部注)のようなワードローブへと変化してきた。

やがて彼女はいくつかのファッションを追いかけ、自分なりのこだわりを持つようになった。例えば、1970年代によく着用していたレザーミニやショートパンツ、あるいは当時の写真に何度も何度も登場する素晴らしい黒いレザーのマキシトレンチコートのようなアイテムである。彼女はジョン・レノンのモダンなスタイルにも大きな影響を与えた。歌手であるジョンが、新たに自分が政治色を強めたことの延長として、白い服を着始め、ひげを生やし、長髪にしたのは、間違いなく彼女の功績であり、また過ちでもある。ジョンのワードローブを占めていた白は、オノ・ヨーコの人生の色であり、あらゆる面で必然的なものだった。彼女のワードローブの黒の渋さを引き立てるために選んだ白、平和の意思表示としての白、彼女の芸術の色としての白なのだ。

2024年2月、ロンドンのテート・モダンで開催された、彼女に捧げる大規模な回顧展で、来場者は「ホワイト・チェス・セット」に参加することができた。それは、白一色のチェス盤で白い駒だけを使ったゲームで、「自分の駒がどこにあるか覚えている限り」プレイすると指示されている。1966年に初めて実現したこの作品は、オノ・ヨーコの戦争に反対する岩のように固い姿勢を再び示すこととなった。

Translation & adaptation: Akiko Eguchi

篠山紀信さんとmarie claire
モードをエコに!サステナブルラグジュアリーの先駆者「ステラ マッカートニー

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