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戦前にこんな自由な表現があった驚き。短命だった前衛写真のヴィジュアルを東京都写真美術館で堪能する【what to do】

写真というのは地方と相性がいいのかもしれない

写真というのは地方と相性がよさそうだ。そもそも日本人が初めて写真を撮影したのは1857年の薩摩でのこと。その後、長崎、横浜、そして箱館といった開港地を中心に写真館が設けられた。80年代に入ると、趣味で写真撮影を始めるアマチュアが増え、絵画的な写真を制作するピクトリアリズムが広がっていった。1920年代以降、カメラやレンズの機械性を生かし、絵画の模倣ではなく写真でしかできない表現を追求する動きが出て、それがドイツやフランスなどの動向も反映して、30年代以降の前衛写真につながっていく。

小石 清《疲労感》〈泥酔夢〉より 1936 年 東京都写真美術館蔵

ただ、戦時下体制が強化され、前衛表現は写真に留まらず規制を受け、シュルレアリスムの動向などを紹介した瀧口修造が41年に逮捕され、写真雑誌の統合や写真材料の入手が困難になったこともあって、前衛写真の活動は急速にしぼんでいった。

後藤敬一郎《最後の審判図》1935-40 年 東京都写真美術館蔵

活動期間が短い上、戦時中にオリジナルプリントや資料の焼失が激しいこともあって、まとまった形で日本の前衛写真が紹介される機会は少なく、写真美術館でも初の企画展になるという。一方で海外からの関心は近年高く、2021年から22年にかけて、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのテートモダンで開かれた「SURREALISM BEYOND BORDERS」展でも日本人作家の作品が取り上げられた。「実際、日本の前衛写真の問い合わせはこのところ、海外の美術館からの方が日本からよりも目立つほど」と今展を企画した東京都写真美術館学芸員の藤村里美さんは話す。

久野久《海のショーウインドウ》1938 年 福岡市美術館蔵

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Profile

高橋直彦

『マリ・クレール』副編集長。海外からの関心が高まっている背景には、コレクターのニーズもあるらしい。オリジナルの多くが戦災で焼失し、作品としてのレア度が高い上、今見ても斬新な構図の写真も多いからだ。しかも、泰西名画や現代アートの人気作家の作品に比べれば割安なのだとか。いずれにしても当方には無縁の世界だが、貴重な作品ができることなら日本国内に留まってほしいと無責任に思ったりもするのだが……。

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