戦前にこんな自由な表現があった驚き。短命だった前衛写真のヴィジュアルを東京都写真美術館で堪能する【what to do】
2022.8.15
2022.8.15
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展覧会は5章仕立て。第1章で日本の前衛写真に影響を与えた、ウジェーヌ・アジェやマン・レイといった海外作家の作品を紹介。その後はシンプルに「大阪」「名古屋」「福岡」、そして「東京」と活動地を冠した展示が続く。出品点数は写真集や雑誌なども含め計183点。理屈が先立ち、取っつきにくそうな印象もあるが、「今から90年ほど前にこんなに自由な表現が行われていたということを、展示を通してストレートに楽しんでほしい」と藤村さん。
実際、ファッションの様々な広告ヴィジュアルに触れてきた『マリ・クレール』フォロワーなら、知識抜きにその写真の斬新さを感じ、面白さも楽しめるはず。むしろ、写真史の知識などは邪魔かもしれない。例えば、《イルフ逃亡》(1938)と題した作者不詳の作品は、現代のCDジャケットに使っても違和感のない躍動感あふれる構図。平井輝七の《月の夢想》(同)と題した写真も幻想的な雰囲気でしゃれている。前衛的な版画家としてられる恩地孝四郎の写真作品も目を引く。構えずに現代の視点で写真を眺め、その表現が古びてしまっているか、そうでないかを見極めるのも楽しそうだ。
前衛写真の動きは40年代前半に収束してしまったとされるが、本当にそうだろうか。活動を担った人物が写真家として従軍していたり、斬新なレイアウトで知られる対外向けプロパガンダ雑誌に写真を提供したりしているからだ。戦後になると再び前衛的な写真表現を続ける作家もいたし、「主観主義写真」という新しい活動に賛同する作家もいた。そうした写真家の取り組みは、戦後の実験工房などの動きを含め、現在の広告ヴィジュアルや雑誌のレイアウトなどにも連綿と影響しているのではないか。それらに思いを巡らせながら、展観してもいいだろう。わがままを言えば、絵画や映画との関係についてもっと知りたいと思った。例えば、衣笠貞之助の『狂った一頁』は日本初の本格的な前衛映画とされているが、公開が26年と前衛写真の活動より早いわけで、メディアとしては後発の映画が写真に影響を及ぼした可能性はなかったか。また、先に「旦那芸」と書いたが、作家が男性ばかりなのも気になる。前衛写真の作家に女性はいなかったのだろうか? まあ、細かく言い始めると切りがないが、フォロワーはそんなことを気にしなくてもいい。前衛写真を制作した作家たちが写真というメディアの可能性を前向きに探ったように、その表現の斬新さを理屈抜きに楽しむのが今展に相応しい健全な鑑賞態度なのかもしれない。
高橋直彦
『マリ・クレール』副編集長。海外からの関心が高まっている背景には、コレクターのニーズもあるらしい。オリジナルの多くが戦災で焼失し、作品としてのレア度が高い上、今見ても斬新な構図の写真も多いからだ。しかも、泰西名画や現代アートの人気作家の作品に比べれば割安なのだとか。いずれにしても当方には無縁の世界だが、貴重な作品ができることなら日本国内に留まってほしいと無責任に思ったりもするのだが……。
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