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【鹿島茂・パリのパサージュ・7】筋金入りのオタクの殿堂、パサージュ・ヴェルドー

コロナ禍で旅行に行けない今、極上のエッセイで楽しむパリ散歩はいかが?  フランス文学者の鹿島茂さんにはパリに行くたび足を運ぶ場所がある。それはパサージュ。「パサージュには、バルザックやフローベルの生きた19世紀という『時代』がそのままのかたちで真空パックのように封じ込められている」という鹿島さんのガイドでとっておきのパサージュへとご案内。今回は「パサージュ・ヴェルドー」へ。 (本記事は鹿島茂:著『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(中公文庫)から抜粋し作成しています)

出来たときから寂れていた

兄弟パサージュであるパサージュ・ジュフロワと比べると「うらぶれ」感が強いが、「落魄(らくはく)の味」を最上とするパサージュ・マニアには、たまらない魅力をたたえたパサージュである。通好みのパサージュ。

パサージュ・ヴェルドーは、パサージュ・ジュフロワと同じ開発母体によって造られた。また設計も、ジャック・デシャンが加わってはいるものの、基本のコンセプトはデタイエとロマン・ド・ブールジュによってなされている。そのため、二つのパサージュは構造的には非常によく似ている。すなわち、鉄骨の骨組みで全体を作り、ガラス屋根は、魚の背骨のような丸みを帯びたマンサード形で、ガス灯も最初から天井に吊るされていた。

ただ、開業の時期は、パサージュ・ジュフロワに比べて若干早かったようである。参考資料によっては、パサージュ・ヴェルドーの開通を1846年としているものがあるが、それは、たぶん、パサージュ・ジュフロワの工事が敷地の複雑さによって遅れたことに起因していると思われる。

このパサージュに名を残すヴェルドー氏とは、レストランやホテルにシーツやテーブル・クロスをレンタルするシステムを考案したことで知られるアイディアマンである。

このように、パサージュ・ヴェルドーは、パサージュ・ジュフロワとワン・セットで兄弟パサージュとして開発されたが、残念ながら、兄(弟?)が享受した人気は、開業当初から弟にまでは及ばなかったようである。

その原因ははっきりしている。

パサージュ・ジュフロワの入口が当時最大の繁華街であったグラン・ブールヴァールであったのに対し、パサージュ・ヴェルドーは、一つ奥に入ったグランジュ=バトゥリエール通りであったこと。パサージュ・ジュフロワに入った客は、グランジュ=バトゥリエール通りまでくると、そこを横切ってパサージュ・ヴェルドーに入ることなく、グルリと回れ右して、パサージュ・ジュフロワをグラン・ブールヴァールの方に引き返してしまったのである。

そのため、パサージュ・ジュフロワの押すな押すなの大混雑に比べて、パサージュ・ヴェルドーは嘘のように静まりかえり、よくいえば落ち着いた、悪く言えばガランとした雰囲気をつくり出していたようである。

先に引用したアルフレッド・デルヴォーは『パリの歓楽 挿絵入り実践ガイド』の中で、パサージュ・ヴェルドーをパサージュ・ジュフロワと比較しながら、1867年にこうレポートしている。

「パサージュ・ヴェルドーは、パサージュ・ジュフロワの続きであり、グランジュ=バトゥリエール通りを渡ればそこに到着するのだが、その双子の兄弟のような繁栄を享受しているとは言い難い。パサージュ・ジュフロワに人が群がっているその分、パサージュ・ヴェルドーは閑古鳥が鳴いている。とはいえ、それは、パサージュ・ジュフロワと同じように感じのいいパサージュではあるのだ。そう、たしかにそうではある。しかし、やんぬる哉、ある一点で両者は大きく異なる。パサージュ・ジュフロワは、グランジュ=バトゥリエール通りを終点にしているにしても、その始まりはモンマルトル大通りにある。いっぽう、パサージュ・ヴェルドーはグランジュ=バトゥリエール通りが起点で、終わりは、どこかの名の知れぬ通りである。つまり、パサージュ・ヴェルドーは、たんなるパサージュ(通り抜け)にすぎない。対するに、パサージュ・ジュフロワは人が散歩する道なのである」

しかし、こうして、出来たときから寂れたせいで、パサージュ・ヴェルドーは、変な言い方かもしれないが、「寂れ方」において成熟し、素人の散策者(フラヌール)を寄せ付けない、フラヌリのプロが好む「渋い」パサージュとして年輪を重ねてきている。筋金入りのオタクの殿堂といった感じで、しかも、そのオタクというのも、その道何十年のオタク道一筋の「重要文化財」的なオタクであり、それこそ、バルザックの小説に出てくるポンスのような、業の深いオタクなのである。

向かいのカフェから眺めた古書店「ロラン・ビュレ」

それを象徴するのが、パサージュ・ヴェルドーにある二軒の古書店「ロラン・ビュレ」と「ファルフーユ」である。

「ロラン・ビュレ」(6番地)は、まだバンド・デシネ(B・D)、つまりフランスの漫画が子供相手の屑本としか認識されていなかった時代からここに店をかまえ、初のバンド・デシネ専門古書店として、この分野の草分けとなった。今日では、パリ中のいたるところにB・D古書の専門店があるが、「ロラン・ビュレ」はその輝ける第一号なのである。いっぽう、「ファルフーユ」(27番地)は素人目にはただの屑本屋としか見えないが、じつは、プロの古書コレクターからは一目も二目も置かれた本屋なのである。というのも、「ファルフーユ」でしか手に入らない本というものが存在するからである。とくに、年に1回発行される「全集端本特集号」は、コアなファンからは熱い期待を寄せられている。私も、これで欠本のあった全集を何種類か「完本」にした思い出がある。

コアなファンに人気の古書店「ファルフーユ」

その他、世界中の古カメラ愛好家のメッカと化している「フォト・ヴェルドー」(16番地)、古絵葉書や古ポスターの専門店「ラ・フランス・アンシエンヌ」(26番地)など、パサージュ・ヴェルドーは、競売場「ドルオー会館」の別館であるという評判はまんざらウソではないようだ。

photos:鹿島 直(NOEMA Inc. JAPAN)

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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