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朝倉摂生誕100年 初となる本格的な回顧展を通して、その創作の全貌に触れる【what to do】

朝倉摂さんの創作世界の全貌に触れられる貴重な企画展。看板左側の絵は、抽象化された女性像を追究した《群像》(1950年 顔料、紙 練馬区立美術館蔵)(撮影・高橋直彦)

何か面白いことが起きていないか、知的好奇心にあふれる『マリ・クレール』フォロワーのためのインヴィテーション。それが”what to do”。その時々の旬のトピックを取り上げて紹介する。今回は舞台美術家として知られる朝倉摂さん(1922~2014)に注目したい。今年が生誕100年に当たるのを記念して、東京の練馬区立美術館で公開機会の少なかった日本画作品がまとめて紹介され、創作活動の全貌を展観できる貴重な機会となっている。戦前からつい最近まで時代と真摯に向き合ってきたアーティストの熱量が展示を通して伝わってくる。

何とも怖いもの知らずだった。1994年春、30歳そこそこの若造が、唐十郎や蜷川幸雄演出の舞台美術などを数多く手がけ、当時71歳だった朝倉さんに取材を申し込んでいるのだから。「若造」とは自分のこと。読売新聞の記者として「私流」と題する装いについての記事で朝倉さんのアトリエ(篠原一男設計だったような……)で話をうかがい、その年の6月21日付の東京本社発行の朝刊で紹介している。今展の図録の「朝倉摂について書かれた文献」欄にも拙稿のタイトルが名前入りで記載されていた!

「自分」という軸からぶれなかった創作姿勢

1950年の朝倉さん

その中で「動きやすいのが一番」と、40年前からスパッツを愛用していることを教えてくれた。こちらは緊張し通しだったが、「若造」と同じ低レベルに合わせて話してもらい、取材を終えることができた。その記事を彼女のこんな言葉で締めくくっている。「気に入った仕事だけをして、好きな人とだけ会う。それがストレスをためないコツ。ファッションも同じよ。自分が気に入らなきゃダメ。服は着るもの。着られるものじゃないでしょ」。戦前から戦後へ、大きくうねる時代と真剣に向き合いながら、「自分」という軸からぶれることのなかった姿勢が、朝倉さんの創作活動とも符合しているように感じた。

明らかになり始めた日本画家時代の活動

《更紗の部屋》1942年 顔料、紙 練馬区立美術館蔵

ただ、「創作活動」と言っても、70年代以降の舞台美術家としての印象が強く、彫刻家の朝倉文夫(1883~1964)の長女として生まれ、伊東深水に学んだ日本画家として、戦前から創作を始めたことを最近まで十分には知らなかった。朝倉さんは生前、画家時代の作品を積極的に公開したがらなかったという事情もあるようだ。そんな彼女の日本画に初めて触れたのが、2017年冬に実践女子大学香雪記念資料館(東京)で開かれた「朝倉摂 『リアルの自覚』」展でのこと。

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Profile

高橋直彦

『マリ・クレール』副編集長。企画展という形でしか触れられない朝倉さんの創作世界を体感できる貴重な機会。2020年から21年にかけて東京都現代美術館で開かれた石岡瑛子展とも共通する熱気を会場から感じる。生前の朝倉さんの仕事をそれほど知らないと思われる若い世代が、展示に熱心に見入っている姿が印象に残った。

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