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「僕が家事をしますよ」に妻は「ラッキー!」 無理しない家事と結婚を実践する 元祖スーパー主夫・山田亮さん

【go'in my way】自らの信じる道を歩みつづける人へのインタビュー。今回は、元祖スーパー主夫として、無理しない家事と結婚を実践している山田亮さんの理想の妻との出会いから現在の活動ぶりについてご紹介します。

会社を1年で辞めて資格取得を目指している時に運命の出会い

「元祖スーパー主夫」、家事ジャーナリストとして、「楽家事ゼミ」を主宰し、講演やブログ、新聞連載を通じて家事や育児の情報を発信し続けている山田亮さんの人生最大の転機は、妻の和子さんとの出会いだった。

「勤めていた会社の上司と折り合いが悪くて、先のことも考えずに新卒で入社して1年で退職しました。いろいろと考えた結果、高齢化社会がどんどん進むだろうから、『これからは介護の分野だろう。介護ベッドの営業マンになろう』と思ったのです。勤めていた会社で楽器の営業をやっていて、『営業に向いている』という自信もありましたので。同時に、営業をするなら資格を持っていた方が有利だろうと社会福祉士の資格を目指すことにしたのです」

アルバイトをしながら通信制の大学に通い、続いて大学院に進み、2年目に修士論文を書いているときに、担当の教授が急逝する。さて、だれに論文の面倒をみてもらおうかと考えた末に、当時、普及し始めたばかりのインターネット上に論文の一部を公開して呼びかけた。それに対して、『おもしろい研究をしていますね』といって連絡してきたのが、のちに妻となる和子さんだった。ちなみに、山田さんが当時研究していた論文のテーマは、昨今、マスコミでもよく取り上げられているオーバーステイ状態にある外国人労働者の医療保障問題。介護分野への注目もそうだが、かなりの先見の明である。

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窓ふきなどの家事はお手のもの。(写真はいずれも本人提供)

初めて会った日に交際を申し込み4か月で結婚

「半月ほどメールのやりとりをして、1997年11月30日に初めて会ったときに、交際をお願いし、翌年の1998年の3月18日に結婚しました。和子さんは、京都の大学の看護学を専門とする教員で、いまもそうなのですが、会ってみると、明るくて、よく笑うし、おもしろい、裏表のない人でした。それで初めて会ったときに、『彼氏がいないなら、お付き合いしませんか?』と聞いたのです。すると、『前もってお伝えしておきたいことがあります』と言うのです。『なんですか?』と聞くと、『私、家事はしませんし、できません』って。僕は10年くらい1人暮らしをしていて、炊事・洗濯・掃除は一通りできたので、『じゃあ、僕がご飯作りますし、家事もしますわ』と言うと、『ラッキー! 今まで通り出張に行ってもいいし、生活も変えなくていいのね』。ですから、講演に行くとよく『いつから主夫になったのですか』と聞かれるのですが、最初からなのです」

1967年生まれで、香川県高松市の出身。公務員の父親から、「でしゃばってはいけない、控えめでいるように」と言われて育ったことから、小学校時代はおとなしくて目立たない子どもだったという。

「いまでいう陰キャラでしたね。ところが、もともと『しゃべり』だったのでしょう。当時流行っていたTOTOとかジャーニーに憧れて、高校時代にバンド活動を始めたのです。すると、MCとかで結構話せるのですよね。後ろにいるメンバーから、『はよ、次の曲いけえ』とか言われたりして。それが大阪の大学に進学して1人暮らしを始めて、たががはずれたという感じです。ですから、いまの僕の姿をみた当時の同級生からは、『お前、そんなしゃべったかのぉ』と必ず言われますね」

大学時代に、「本来の自分」に立ち戻った山田さんは、プロのミュージシャンを目指してバンド活動に打ち込むも、「実力のなさを実感」し、卒業後、楽器メーカーに就職する。人付き合いには自信を持っていたものの、社内で有数の新人ブレーカーと衝突し、退職。「それが人生で最初の挫折であり、転機でもありましたね」と振り返る。

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プロのミュージシャンを目指していた大学生時代。

子育てでノイローゼになり結婚生活最大の危機に

2001年に長女が誕生。子育てが始まる。多くの方が経験するように、2、3歳のころに育児ノイローゼに陥る。

「気持ちが鬱々として安定しないのですよね。和子さんに相談しようにも、和子さんは和子さんで、仕事のトラブルを抱えている。それで最初は、友だちに相談していました。ところが全然改善に向かわない。しばらくして、やはり夫婦でよくコミュニケーションをとらないといけないことに気がついたのです。これは講演で使うフレーズなのですが、『バトンタッチ夫婦』になってはいけないのですよね。片方が面倒をみている間に、もう片方が家事をこなす、子どもがバトンになっていたと思うのです。夫婦の会話が業務連絡だけで終わっていた。これではいけないと互いに気がついて話し合い、忙しくてもコミュニケーションをとるように心掛けました。振り返るとあのときが、夫婦生活の最大の危機でした」

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笑顔がはじける長女(5か月ごろ)と山田さん。

10人に1人の男子学生から「主夫になるにはどうすればいいですか?」

昨年2021年4月、16年ぶりに大学教員に復帰し、週に1コマ、ゼミの講座を担当している。大学生と接するにあたり、時代を経過したことによるジェンダー意識の変化を感じるという。

「以前なら、『先生、主夫になるにはどうすればいいですか?』と聞いてくる男子学生がだいたい100人に1人の割合でしたが、いまは10人に1人ですね。女子学生からも、かなりの確率で、『どうやったら家事をする男性を見つけることができますか?』と聞かれるようになりました。

いまの女子学生を見ていると、まだまだ『女性はこうあらねばならない』という意識の強い人がいて、『もっと自由に考えていいのにな』と思うことがあります。僕らの学生時代には、まだ花嫁修行という言葉に現実感があって、さすがにそれはいまは皆無ですが、それでも結婚したら、夫より先に帰宅して食事を用意しないといけないとか、仕事帰りに飲みに行ってはいけないとか考えがちです。そう考えていると、それを当たり前と考えている相手しか見つからないと思うのです。結局、自由でいたいから結婚しない、ということになる。そうでなくて、結婚しても自由でいられる結婚もあることをわかってほしいですね。そうすると、僕のような家事が得意な男性に巡り会えると思います」

夢は世界中の主夫を訪ねてのホームステイ・ルポ

和子さんとの出会いのおかげで、「まさかこれほどおもしろい人生を送れるとは思ってもいなかった」と話す山田さん。これから先の目標については、こう思い描いているそうだ。

「もともとコロナ禍になる前から計画していた、世界中の主夫宅のホームステイ・ルポをしてみたいと思っています。医療従事者のお相手には多忙なことから結構、主夫が多くて、和子さんのつてでアメリカのイリノイ州とかスペインのバルセロナ、あと韓国や台湾にも主夫友がいるのです。『行くよ』と伝えてあるので、コロナ禍がおさまったらぜひ、訪ねてみたいですね。そもそも日本人は家事をやりすぎではないかと思っています。忙しいのに子どものために手作り弁当とか作らなくてもいい。冷凍食品でいいのです。おそらく他の国では、それほど家事をしていないと思うので、それをルポして、頑張らなくてもよい家事を発信していきたいです。家事が苦手な男性でもできる、うちの和子さんでもできる家事を発信していければ最高ですね」

ジョギングの際の伏見城前でのジャンプ自撮りを日課にしている。

Profile

二居隆司

読売新聞に入社以来、新聞、週刊誌、ウェブ、広告の各ジャンルで記事とコラムを書き続けてきた。趣味は城めぐりで、日本城郭協会による日本百名城をすべて訪ねた。

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