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残念な「芥川賞候補」以外の秀作を一気読み……句点のない小説も、舞台制作を巡る泥仕合や地方の閉塞感、超高齢化社会を描く

年に2回、6月と12月に発表される芥川賞の候補は、だいたい4~6作品です。芥川賞は直前の6か月間に雑誌、同人誌などに発表された中短編小説が対象となるので、候補から漏れた作品もたくさんあります。候補5作品を取り上げた「芥川賞(第166回)候補作を一気読み」に続いて、今回は、残念ながら候補に選ばれなかったものの、それに匹敵する秀作の数々(第166回)をご紹介します。

水原涼『息もできない』 鉱毒被害で疲弊する山村で没落する地主の息子が主人公

実績のある作家が対象となる直木賞に対して、芥川賞ではこれから先の活躍が見込まれる新人が対象となることから、文体とか構成、設定・内容などに意欲的に取り組んだものが、よくみられます。なかには、ちょっとびっくりするようなものもあります。

水原涼さんの『息もできない』(すばる11月号)は、そのタイプの一つです。まず、改行がありません。さらに、句点「。」がありません。読点「、」だけで、文章が繋がれていきます。まず、その文体に戸惑うことになります。最初、文体に慣れるまでは、息が詰まるような気持ちがして、タイトルの『息もできない』とは、「そういう意味だったのか」と思ったりしたのですが、もちろん、そんなわけはありません。タイトルの意味は、物語の後半に明らかにされます。

文体への評価は別として、内容はとても重いものです。語り手=主人公は、知的障害を持つ男性で、時代は第二次世界大戦中です。舞台は、福島県の山村で、主人公はかつてその一帯で権勢をふるっていた没落地主の跡取りです。鉱山開発のために、朝鮮半島から強制的に連れてこられた労働者が村にあらたに住みつきます。鉱山からの排水で豊かだった山村が汚染されます。本選の候補作に選ばれた5作品が、ジェンダーとか非正規雇用といった現代的なテーマに取り組んでいるのに対して、『息もできない』では、日本の近代化がもたらした負の部分に光をあてており、そこに新鮮味を感じました。

芥川賞(第166回)候補作を一気読み ジェンダー、非正規雇用、Z世代…現代を読み解くテーマに挑んだ5作品を詳細紹介

『息もできない』が掲載された「すばる」(11月号)

飴屋法水『たんぱく質』 78のエピソードの繋がりに「あれ?」「あれ?」

飴屋法水さんの『たんぱく質』(新潮8月号)も、形式としては、かなりチャレンジングな作品です。400字詰め原稿用紙120枚の中編は、78の章に小分けされており、それぞれ「1 疑問」「2 無脊椎動物」といったように、ナンバリングされた見出しが付けられています。短いものでは、2行の章もあります。短いエピソードを読み重ねていくことになります。ただ、それぞれのエピソードに繋がりがあるかというと、そういうわけではなく、「あれ?」「あれ?」という感じで読み進むことになります。

前半部分では、14歳の娘を持つ、60歳の男性が登場し、「娘と散歩している最中に職質された」とか、「食べ物として売られていたタコを飼育した」といった話があり、この人物が主人公かと思いきや、途中から、「ヒロくん」と呼ばれる博と「ヒロちゃん」と呼ばれる浩子が登場し、存在感を示すようになります。

そもそも「46 小説」の章で、「これは小説だ。小説だろうか? わからない。私には小説というものがわからない。」と作者、もしくは語り手が吐露するのですから、なんとも人を食った小説です。タイトルにある「たんぱく質」というフレーズは、物語の最中に何度か出てきます。そして、最後の場面になって、その印象的なタイトルの意味するところが明らかにされます。不思議系小説がお好きな方には、とくにオススメです。

『たんぱく質』が掲載された「新潮」8月号

鴻池留衣『フェミニストのままじゃいられない』 「配偶者入れ替え連続殺人事件」の舞台化を巡る泥仕合

『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』(第160回、2018年下半期)で芥川賞候補になった鴻池留衣さんの『フェミニストのままじゃいられない』(文學界12月号)は、候補有力と前評判が高かったのですが、惜しくも選から漏れました。

物語の主な登場人物は、脚本家の垣内志乃、演出家の加藤鶏冠手(かえるで)、女優の米良チサト、会社員で舞台俳優を目指すものの芽が出ないままでいる夛田鉄郎の4人です。物語は、志乃が長年温めていた「配偶者入れ替え連続殺人事件」を題材とした『貴子とマサキの恋物語』の舞台化を軸に進んでいきます。交際相手を次々に殺し、そのたびに、新しい男性を殺した相手の身代わりにさせた遠藤藤子役をチサトが、連続殺人事件のきっかけとなる最初の交際相手の飯田毅役を夛田が演じることになります。

舞台の演出の手法をめぐって、脚本家の志乃と加藤の間で微妙な心理戦、露骨なさや当てが繰り広げられますし、チサトと夛田のキャスティングをめぐっても様々な思惑がめぐらされます。登場人物はその場、その場の状況しか見えませんが、物語として全体を俯瞰すると、4者の泥仕合としかいいようのない展開で、果たしてこの舞台は成功するのかどうか、はなはだ疑問を感じてしまいます。当然のごとく、驚きの展開が待ち受けています。タイトルにこめられた意味合いがとても気になりました。

【go’in my way】ギャンブルが私を育ててくれた…「競艇」を創作の糧とする詩人・渡邊十絲子さん

『フェミニストのままじゃいられない』が掲載された「文學界」(12月号)

永井みみ『ミシンと金魚』 老婆のおぼろげな意識を通して描く切ない物語

永井みみさんの『ミシンと金魚』(すばる11月号)は、ことしの「すばる文学賞」受賞作です。超高齢化社会ということで、介護現場を舞台にしたり、お年寄りの視線を通じて物語を構成したりする小説が、少なくありません。この小説もそうで、介護サービスを受ける安田カケイという老婆を主人公に、彼女のおぼろげな意識を通じて物語は進行していきます。なぜか彼女は、デイ・サービスで訪れる施設の職員や訪問介護にやってくる介護士をみんなひっくるめて「みっちゃん」と呼びます。「みっちゃん」とは、誰なのか?その謎は、物語が進んでいくうちに、次第に明らかになっていきます。

カケイは、若くして夫に蒸発され、夫の連れ子のみのると夫との子の健一郎の2人を育てるために、ミシン仕事を始めます。腕がよいと高く評価されるものの、収入はたかが知れています。そんな苦しい暮らしの中に希望の光が生まれるのですが……。なんとも切ない物語です。

物語の中で、カケイの好物として、シベリアが登場します。アンコをカステラで挟んだお菓子です。2020年に亡くなった漫才師の内海桂子師匠に取材した際、子どものころに「あたいもシベリア、食べたいな」と指をくわえて店先で眺めていたという話を聞いたことを思い出しました。

『ミシンと金魚』が掲載された「すばる」11月号

木村紅美『あなたに安全な人』 本当に安全な人はだれなのか、気になる2人の関係

最後は、木村紅美さんの『あなたに安全な人』(文藝秋号)です。木村さんは、『月食の日』(第139回、2008年上半期)と『雪子さんの足音』(第158回、2017年下半期)で二度芥川賞にノミネートされた実力者です。『雪子さんの足音』は、2019年に映画化されています。

主人公の妙は46歳の女性で、昨年春、母親の病気を理由に、「生まれ育った」「北の町」へ「九年ぶりに帰っ」てきます。その母親はその夏に亡くなり、父親も心筋梗塞で相次いで亡くなったことで、いまは実家で一人暮らしをしています。近所に東京から引っ越してきた「本間」さんが、菓子折りを持って挨拶にきた直後にアパートで亡くなります。コロナ禍が拡大し始めた時期の話で、引っ越し先のマンション住民から「一時隔離」を言い渡され、妙の家の近くのアパートに仮住まいしていたのです。

もう一人の登場人物の忍は34歳の男性で、こちらも「昨年夏、家賃の滞納が原因で東京のアパートを追われ、十九歳で出た実家へ十三年ぶりに戻って」きたばかりです。兄夫婦が住む実家の母屋の裏の蔵に住み、便利屋の仕事をしています。物語は、妙が忍に風呂の排水口の詰まりの修繕を依頼するところから始まります。

この二人のもちつもたれつ、互いに信頼しているようでそうでもない、不思議な関係とそのやりとりが物語の軸となります。だれがだれにとって安全な人なのかが、とても気になります。妙が地元を離れざるを得なくなった理由が明かされることで、物語は新たな局面を見せます。本間さんが持参した、<御挨拶 本間>とある熨斗紙の巻かれた煎餅の缶が、物語の進行の上で、大きな役割を果たします。全体を通して、地方における濃密な人間関係がもたらす逼塞感が重くのしかかってくる小説です。

【skill up】LGBT検定®で多様性を理解し、受け入れる姿勢を身に付ける

『あなたに安全な人』が掲載された「文藝」(秋号)

誰もが注目する芥川賞候補作だけでなく、それ以外の隠れた名作を知っていると、ちょっと鼻高な気持ちになれると思います。残念なことに候補になれなかった作品のほとんどは単行本化されることはありません。ぜひ図書館で掲載誌を借りるなどして、「一期一会」の出会いを楽しんでみてください。

Profile

二居隆司

読売新聞に入社以来、新聞、週刊誌、ウェブ、広告の各ジャンルで記事とコラムを書き続けてきた。趣味は城めぐりで、日本城郭協会による日本百名城をすべて訪ねた。

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