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料理家の室田 HAAS 万央里さん「人生は変えられる」 パリから長野へと移住した今が転機

異国での挑戦

室田HAAS万央里, バラック食堂,料理家3

室田さんが日本から海外へ出たのは、17歳のころ。渡米し、ニューヨークやインドネシアのバリ島でも暮らしていた。

「高校を中退して、17歳で大検(大学入学資格検定)がとれて、この先どうしようと考えていたら、父親がニューヨークの大学へ行かせてくれたんです。ニューヨークは父のあこがれの場所だったこともあって。でも私はそこで体調を崩してしまい、結局、卒業は出来ずに日本に戻りました。バリ島は私が住みたい場所だったので、バイト代をためて半年くらい住んでいました」

その後は再び日本でファッションを学ぶべく学校へ行き、その流れで2003年にパリに移住した。パリはファッション好きな女性ならあこがれの場所ともいえるが、室田さん自身はそうでもなさそうだ。

「クロワッサンが好きなわけではない、バターも苦手、甘いものも嫌いで、パリへの強い憧れも特にありませんでした。結果的に結婚したから長く住んでいるだけで、私はご飯がおいしければどこでも楽しく暮らせるタイプなのかなって思います」

さらに、パリではあることに気づいた。

「パリでファッションの学校を出て、ファッション業界で働いて、そしたら、あぁ向いてない……って思ったんです」

料理の才能が開花

それならばと始めたのが「料理」だった。いわく「唯一、他の人よりもちょっと得意だったのが、ご飯を作ること」。そしてケータリングを始めた。

「ケータリングを始められたのは、たまたま日本食がはやり始めてたからだと思います。最初は少数から『お弁当1個から届けます』といった形で。だいたい10個くらいを手に持ってメトロで回って、改札でお金もらって渡す、なんだか怪しい商売のようですよね(笑)。あとは、もともと働いていたブランドのショールームから注文が入るなどして、少しずつ広まっていったんです」

野菜好きの母親の影響もあり、自身も自然とベジタリアンになっていた室田さんの作るケータリングも、おのずと野菜中心のメニューとなった。要望があれば肉を入れるといった具合だ。

バラック食堂, プラントベースランチ

ケータリング業に奮闘し、さらに室田さんは結婚、出産も経験した。子供が生まれてからは、子供たちの世代がどうしたらいいものになるか、そのために自分は何ができるか考えるようにもなり、仕事ではプラントベースのみの料理を作ろうと決める。そして、子育てと両立しながらのケータリング業をすることに行き詰まりも感じた。そこで再び、働き方をシフトしていく。

「例えば、子供が熱を出したからといって『明日のケータリング50人分をキャンセルさせて』なんて言えません。なので、仕事のやり方を大きく変えました。ケータリングから、レシピ本の制作や企業とのコラボレーションでレシピを提供したり、あとはプラントベースの料理教室をオンラインやオフラインでするように。自分で作った料理は届けられないけれど、自分のレシピで『こんな食べ方があったんだね』『野菜ばかりでもおいしいね』と豊かさが広がったり、手助けになったりしたらいいなと思うようになったんです」

時期を同じくして、フランスでは新型コロナウイルスによるロックダウン。人々は家から出られない状況が続き、自宅で料理をする人が増えたこともレシピ需要の後押しになった。

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Profile

室田 HAAS 万央里(ムロタ ハース マオリ)

東京生まれ。17歳でNYに移り住んだ後、インドネシア、再び東京を経て2003年に渡仏。モード界で働いた後、ケータリング業に転身、料理教室や出張料理をパリで行う。現在は主にオンラインでのヴィーガン料理教室、レシピ本執筆、企業へのレシピコンサルティングなどを手がける。ハム好きな4歳の娘、ほぼベジタリアンな夫と暮らしながら「みんなが喜ぶヴィーガン料理」をインスタグラムで発信している。2019〜2021年、朝日新聞デジタル&W で「パリの外国ごはん そのあとで。」を連載。著書に「パリの菜食生活 ふだんづかいのヴィーガン・レシピ」(青幻舎)、「Tokyo Les recettes culte」「Cuisine Japonaise maison」(ともにフランス、Marabout 社)がある。 インスタグラム:@maorimurota

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