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ジブリ鈴木敏夫さんが見据える、メディアの本質と未来像

■作品づくりの根底にある本と映画

高橋 今年は、「鈴木敏夫とジブリ展」が開催されました。驚いたのは、会場に若い人が圧倒的に多いことでした。

京都と東京で開かれた「鈴木敏夫とジブリ展」。いずれの会場も若い女性の姿が目立った(撮影・高橋直彦)

鈴木 入場者のデータではなんと85%が20代の女性でした。スタッフの間では、どうして鈴木敏夫の展示会に若い女性が押し寄せるのか、いまだに悩んでいるそうです。

高橋 「鈴木敏夫とジブリ展」で圧巻だったのは、映画と本について展示をなさっている中で、鈴木さんの蔵書8800冊がすべて展示されていたことです。

鈴木さんの書斎と再現し、その蔵書を並べた展示。実際に本を手に取って読むことのできるコーナーも(撮影・高橋直彦)

鈴木 あれは僕自身がやってみたかったことで、いつもは5か所くらいに分けて置いてある本を一つの部屋に並べたところを見てみたかったのです。ただ、子どものころから約70年間の本が置いてあるのを見て感じたのが「たったこれだけなのか、自分の人生は」ということでした。いろんなことをやってきたつもりだったので、人間のできることは限られているのだな、と。

高橋 あれだけの本が並んだのをご覧になっても、そんな思いがあったのですね。実はその中に僕の愛読書もありまして、日本では1960年代末に出されたフランスの映画評論家のアンドレ・バザンによる『映画とは何か』という本。今は文庫化されていますが、古書店で探し出すのに苦労した本なんです。

鈴木 アンドレ・バザンは、一言でいうとヌーヴェル・ヴァーグ(フランスから世界の映画界に新しい波)を創った人ですよね。僕は高校生くらいからヌーヴェル・ヴァーグの映画をたくさん見た世代だったので、アンドレ・バザンの本は非常に興味があり大学に入ってすぐ買ったのです。それからは繰り返し読んでいて、僕が映画について語る根っこの一つにこの本があります。

高橋 鈴木さんが雑誌『アニメージュ』の編集に携われていたときも、アンドレ・バザンが関わった『カイエ・デュ・シネマ』という映画雑誌を意識されたと。

鈴木 アンドレ・バザンという人は、自分が関わっていた雑誌にいろいろな人の企画やシナリオを掲載し、それが映画をつくるきっかけになっていて、ゴダールやトリュフォーもその雑誌のおかげで映画をつくる機会を得たのです。そうしたことから、アニメーション雑誌で映画がつくれたらいいなと思いました。

■宮崎監督の熱意に負けて制作を決定

高橋 現在、制作を進められている映画について少しお伺いしたいのですが、宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の原作とは違うそうですね。

鈴木 『君たちはどう生きるか』は1937年に出された本です。今回の映画は、主人公が亡くなったお母さんの本を整理していて、この本の表紙をめくったときにお母さんからの手紙を見つけ、そこから物語が始まります。

高橋 非常に楽しみです。引退宣言はされましたが、宮崎駿監督はつくりたい気持ちがあったのでしょうね。

鈴木 ただ、大人げないというか、もう一度映画をつくりたいというときに僕に言ってくるのです。宮崎駿監督が「みっともないのはわかっている」と。「わかっているけれど、もう1本」って。それで僕は「功成り名を遂げた映画監督が、もう1本って言ってつくった作品で、成功作は世界に1本もないです」と言ったのです。そうしたら「20分だけ書くからそれ見て。鈴木さんがだめって言うならやめるから」と。

高橋 では、それをご覧になって鈴木さんが「いける」と思ったわけですね。

鈴木 ある時、金曜日に20分できたと言って手渡されたのです。土曜日も日曜日も読む気がしなかったのですが、仕方がないから日曜日の夜に読んだのです。驚きました。面白いのです。でもこれからつくるとなったら大変ですから、あきらめさせようと思って「宮崎さんは面白いと思っているかもしれないけれど、世間が見たら面白くないよ」というウソを、次の日会社に行くまで一生懸命練習したのです。

高橋 そこまでしたのですか。それで実際には何とおっしゃったのですか。

鈴木 会社に着いたら入った瞬間に「鈴木さん、おはよう」って言って、いつも言ったこともないのに「コーヒー飲む?」って言って、僕の前に持ってきて丁寧に置いたんです。その顔を見たらしょうがないですよね。言っちゃたんです。「やりますか」って。そしたら笑顔になって。

Profile

鈴木敏夫(すずき・としお)

株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。1948年、名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店入社。『アニメージュ』の創刊に参加し、副編集長、編集長を務めるかたわら、高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。85年にスタジオジブリの設立に参加、89年からスタジオジブリ専従。以後ほぼすべての劇場作品をプロデュースする。

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