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鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【ボディーが日本の服作りを変えた】

お邪魔します~

フランス文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんによるエッセイをお届け。愛猫のグリ(シャルトリュー 9歳・♀)とともに今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語ります(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)

小池千枝がパリで見た衝撃の光景


昔は、どんな小さな町にも、「テイラー」という看板を掲げた洋裁店が、最低でも紳士服専門と婦人服専門の二軒はあり、そのショーウィンドーから、タイトフィッティング用の「人台(ボディー)」がのぞいていたものである。子供の目には、首なし腕なしのボディーから、大人たちの背広やドレスが生みだされるとはどうしても思えず、何か魔法でも見るような思いで、この摩訶不思議(まかふしぎ)な物体を眺めていた記憶がある。

ところで、素人目にはまったく同じように見えるテイラー用のボディーにも、戦前と戦後、いや正確には昭和30年を境にして、大きな変化が現われたことをご存じだろうか。

その変化は、高田賢三、コシノ・ジュンコ、山本耀司(ようじ)などを育てたことで知られる文化服装学院の名誉院長小池千枝によってもたらされたものである。

イラスト◎岸リューリ

昭和29年にパリの土を踏んだ小池千枝は、国立職業学校でクチュリエ(仕立屋)の養成現場をのぞいて、天と地がひっくり返るほどびっくりした。日本の教室では絶対に欠かせない黒板とメジャーがなく、あるのは生徒の数だけのボディー(le mannequin)と布だけだったからである。

ようするに、それまで日本で行なわれていた洋裁は、三次元の人体からメジャーで採寸して、それを二次元の平面に作図する平面裁断によっていたのに対し、パリのオートクチュールは、採寸したあとも図面を作らず、タイトフィッティング用の布をボディーに当てて調節する立体裁断を採用していたのだ。これだと、人体の微妙な曲線が拾えるのである。

平面裁断は和裁の裁断方法を日本式に洋裁に応用したものだったが、立体裁断は人体のような立体は立体のままで採寸するしかないという理念に基づいていた。日本人のフラットな肉体に合わせた平面裁断と、凹凸のはっきりした欧米人の肉体にふさわしい立体裁断。このちがいは決定的なものだった。

しかしながら、ボディーというのは人体の標準値を採って作ったものだから、フランス人のボディーをそのまま持ってきても日本人には合わない。そこで、小池千枝は、文化服装学院の生徒たちを使って標準的日本人の体型に合わせたボディーを作りだすことにした。

以後、この文化式ボディーは戦後の洋裁の出発点となったばかりか、その後のプレタ・ポルテの原点ともなったのである。

テイラーの窓からかすかに見えたボディーにも、ソウル(魂)がこもっていたのである。

【グリの追伸】久しぶりにゲラが机の上に広げられたので、待ってましたとばかりにお邪魔(?)しました。いいですね、ゲラの香りと感触。これだけは、飼い主が物書きか編集者の猫にしか味わえない快楽ですね。

ノーゲラ、ノーライフ

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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