×

史上初オール女性作家、第167回芥川賞候補作一気読み

第167回芥川賞候補作が発表されました。史上初のオール女性作家のノミネートでした。これまでで最も注目を集める回になるかもしれません。候補の5作品をご紹介します。発表前に候補作を読んでおくと、発表がより一層待ち遠しくなるはずです。気になる作品があれば、ぜひ手にとってご一読していただきたいです。

小砂川チト『家庭用安心坑夫』「あなたのお父さん」と指し示されたマネキンが再び姿を現す

小砂川チトさん ©大坪尚人

作者名の五十音順にご紹介します。まずは、今年の群像新人文学賞に選ばれた小砂川チトさんの『家庭用安心坑夫』(群像6月号)です。なんとも不思議なタイトルに、読む前から、おおいに興味がそそられたのですが、内容はそれ以上に奇想天外です。

主人公の藤田小波は、30歳をいくつか超えたくらいの秋田県出身の女性で、2年ほど前に上京し、結婚して夫と東京都武蔵野市に住んでいます。

小波の母には虚言癖があり、偏頭痛の原因を「高校生の頃にハワイのどこだかで家族でクライミングをやって、そのときの事故で後頭部を『ほんとうにひどく』強打したこと、その後遺症」だと、幼い小波に「何万回も」説明します。母は小波に対して、廃鉱山を転用したテーマパークの展示館の坑道に立つマネキンを指し、「『あれがあなたのお父さんよ』と言い聞かせ」ます。それは、「日本人離れした、彫りの深い顔立ち」をしたマネキンでした。

幼かった頃の小波は、母の話を鵜呑みにしていたものの、「高校に上がる頃にはしだいにその存在じたいを忘れて」いた、そのマネキンが、結婚した小波の前に、頻繁に姿を表すようになったことから、物語は展開を始めます。物語の終盤、小波は、ある企みを実行します。その企みは成功したのか、そうでなかったのか。思わぬ結末を迎えます。

【関連記事】マリクレールデジタルトップページ

小砂川チトさんの『家庭用安心坑夫』が掲載された「群像」2022年6月号 @講談社

鈴木涼美『ギフテッド』余命わずかな詩人の母を看取る、最後に明かされる秘密とは

鈴木涼美さん ©石垣星児

社会学者として知られる鈴木涼美さんの『ギフテッド』(文學界6月号)は、胃がんの母を看取る娘が主人公です。20代後半、「歓楽街とコリアンタウンを隔てる道路に面した建物」の3階に住み、深夜から朝にかけ、飲み屋でお客の相手をする仕事を17歳で家を出て以来、続けていたものの、母の看護のために、その仕事を辞めます。

その主人公には、ある食事会で知り合った、「そこに集った私たちは全く同じだけの、おそらく世の中的には低い価値しかなかった」ことに「不満はない」点で「意気投合し」た2人の友人がいます。1人は、主人公の名前と「一字違い」のエリで、SM系の出張風俗に勤めていて、もう1人は、「風呂屋ばかりが並ぶ街で、暴利でセックスを売って」います。エリは、出稼ぎに行っていた大阪で賃貸マンションから飛び降り亡くなります。

一方で、母の死は、一歩一歩確実に近づきつつあります。母は詩人で、最後の詩を娘の部屋で書きたいと願うものの、その力はもう残っていません。すぐに病院に戻ることになります。そこに、若き日の母を知る男性が現れ、当時の母への思いを、娘の主人公に告白していきます。

余命少なくなった母と主人公の会話は胸を打ちます。そして、最後に明かされる母の秘密。母亡き後、主人公はどのような道を歩んでいくだろうかと、読後、深く考えさせられました。

【関連記事】芥川賞(第166回)候補作を一気読み ジェンダー、非正規雇用、Z世代…現代を読み解くテーマに挑んだ5作品を詳細紹介

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』…不思議な三角関係から「食べる」について考えさせられる

高瀬隼子さん ©講談社

『おいしいごはんが食べられますように』(群像1月号)は、『水たまりで息をする』(2021年上期)に次ぐ、高瀬隼子さんの2度目の候補作品です。

主人公の二谷は、食品や飲料のラベルパッケージの制作会社に勤務する入社7年目の営業マンで、この春、埼玉県にある支店に異動してきます。同じ職場に勤める、入社年次が一つ下の芦川さん、二つ下の押尾さんといった2人の女性と二谷との不思議な三角関係を軸に物語は進行します。

冒頭、押尾さんは二谷との二人きりの飲み会で、「芦川さんのこと苦手なんですよね」と打ち明けます。芦川さんはことあるごとに体調が悪くなり、その仕事をフォローするのは押尾さんなのに、気遣いされるのは芦川さんばかりで、「できないことを周りが理解しているところ」に押尾さんはいらつきを感じます。それに対して、二谷は一定の理解を示します。

ところが、そのあとすぐに、二谷は芦川さんと交際を始め、週に1度、二谷の部屋で芦川さんに手料理を作ってもらう間柄になります。芦川さんは、読んでいてほんと感心するくらい、手の込んだ料理を作ってくれます。

それに対して、1日3度の食事に対して、「スーパーやコンビニに行けばそこに作られたものがあるんだから、わざわざ自分たちで作らなくたっていいんじゃないか」と思う二谷にとっては、それを食べるのは苦痛でしかありません。さらに、ふとしたことがきっかけで、芦川さんは、職場に手作りのデザートを差し入れするようになります。

そこから、ストーリーは急展開します。タイトルにある「おいしいごはんが食べられますように」はいったい、何を意味しているのか。「食べる」という行為について、いろいろ考えさせられる作品でした。

【関連記事】芥川賞候補作品(第165回)を一気読みしてみました……テーマに東日本大震災や同性愛、日常生活のちょっとした違和感

高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』が掲載された「群像」2022年1月号 @講談社

年森瑛さんの『N/A(エヌエー)』…世間からの押し付けに違和感を感じる女子高生に思ってもいない結末が

年森瑛さんの『N/A(エヌエー)』が掲載された「文學界」
2022年5月号

年森瑛さんの『N/A(エヌエー)』(文學界5月号)は、今年の文學界新人賞の受賞作です。主人公は大学受験を間近にひかえた高校3年生の松井まどかで、クラスメートからは「松井様」と呼ばれています。そういう名前で呼び始めたのは、仲のよい「オジロ」で、「だって王子だし、まどかって顔じゃないでしょ」とその理由を説明します。

まどかは、中学校の時に、過度なダイエットに対して注意喚起する保健室だよりの見出しを見た夜から、炭水化物を抜くのを始め、生理が止まったことから、保健室でカウンセリングを受けさせられます。それでも、「身長以外何も変わらぬまま中等部を卒業し」、「エスカレーターで上がった高等部でも、自分の血の色はたまの怪我か破けたニキビでしか確認せずに終わりそう」です。

 まどかには、「うみちゃん」という女性の「彼氏」がいます。とはいえ、自身でうみちゃんを彼氏と呼ぶのは「何となく嫌」で、「付き合っている人、というのが」「しっくりする」と感じています。

オジロと、もう一人の仲のよい友人の翼沙が、それぞれ辛い思いをします。クラスメートとして、同じ空間を共有できる時間が少なくなっていきます。自分の考えで行っている「ダイエット」やうみちゃんとの交際が、「世間の風潮に抑圧された結果生じていることになってい」ることに違和感を持つまどかは、高校を卒業後、うまく新たなスタートを切ることができるのでしょうか。思ってもいない結末は、心に染み入るものでした。

山下紘加さんの『あくてえ』…20歳小説家志望の孫と「ばばあ」との激しい悪態の応酬

文藝編集部提供

最後は、山下紘加さんの『あくてえ』(文藝夏季号)です。冒頭で説明されていますが、タイトルの「あくてえ」は、「悪口や悪態といった意味を指す甲州弁」で、書き始めに「あたしは日頃から、あくてえばかりつく。」とあるように、全編、あくてえに満ち溢れた作品です。

主人公の「ゆめ」は、小説家を目指す20歳の女性で、いまは派遣社員として、事務仕事に就いています。90歳の祖母と母親の沙織の3人暮らしです。沙織は、黄色が好きで、いつもその色のエプロンをしていることから、ゆめからは「きいちゃん」と呼ばれています。

ゆめが、あくてえをつくのは、祖母に対してで、面前では「『ばあちゃん』と呼びながら、陰では『ばばあ』と侮蔑を込めて呼んでい」ます。とにかく、頑迷な年寄りにありがちな、わがままな「ばばあ」で、「自分の非は認めず、すぐに他人に責任転嫁」したり、「事態が収まると我先に食卓について、悪びれる様子もなくご飯を食べ始め」たり、さらには「意識的に聞こうとするものと聞かないでおこうとするものの取捨選択を行っ」たりと、たちが悪いことこの上なしです。もちろん、あくてえについても、ゆめ以上です。

ところが、きいちゃんは、祖母に対して、根気よく、親身になって世話を焼きます。どんな無理難題に対しても、腹を立てたりしません。それが、ゆめをさらにいらだたせます。

きいちゃんの元夫やゆめの彼氏も登場、「ばばあ」も静かにしてはいません。ひっちゃかめっちゃかの展開を繰り広げます。

「ばばあ」のふるまいを、かわいらしいと思うのか、憎たらしいと感じるのか、個人的にはなんとも判断がつきかねました。なにはともあれ、ゆめはまだ20歳です。この先、どのような人生が待ち受けているのか。作家になる夢がかなうことを願うばかりでした。

『あくてえ』は7月15日に河出書房新社から単行本発売予定です。

女性だけという話題だけでなく、各自の年齢の若さにも、目を見張らされます。候補作が発表された時点で、最年長の鈴木さんが38歳で、続く高瀬さんが33歳。小砂川さんが32歳で、山下さんが28歳、年森さんが27歳です。いずれにしても、受賞作なしでない限りは、20代、30代の受賞者が生まれることになります。歴史に残る芥川賞の行方に、ぜひ注目していただきたいです。

Profile

二居隆司

読売新聞に入社以来、新聞、週刊誌、ウェブ、広告の各ジャンルで記事とコラムを書き続けてきた。趣味は城めぐりで、日本城郭協会による日本百名城をすべて訪ねた

リンクを
コピーしました