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【鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」】明るさを求める日本人、暗さを好むフランス人

起動すると駆けつけます

フランス文学者の鹿島茂さんが愛猫グリ(シャルトリュー 10歳・♀)とともにお届けしている本連載。職業柄、渡仏の機会の多い鹿島さんは、かつて現地のホテルで必ず苦労していたことがあったそう。滞在中の悩みを通して導いたある“仮説”とは?(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)


ランプ・シェードの役割は

フランスのホテルで部屋に入った日本人がまず感じるのは照明が「暗い」ということだろう。部屋全体を照らす明かりがなく、どれも間接照明なので、日本人が慣れている明るさが得られず、なんとなく頼りない印象を受ける。

なかには、どうしても思ったような明るさが欲しくて、電気スタンドの笠(ランプ・シェード)をはずして、裸電球にしてしまう人もいる。かくいう私もそのひとりで、とりわけ、原稿を書いて日本に送らなければならないときには、この笠はずしを必ずやる。そして、そのたびに思う、フランス人はなんでこんなに部屋を暗くしなければならないのだと。

しかし、フランス人から見たら、それはいかにも日本人的な感性であり、日本人はなんであんなにギラギラ光る裸電球を我慢できるんだということになるだろう。なにしろ、ランプ・シェードに当たるフランス語の「アバ・ジュール abat-jour」の語源は、「光( jour)」を「やっつける (abattre)」道具という意味なのだから。

こうした照明に対する感覚のちがいは、一般には虹彩の色素のちがいから説明されている。つまり、青い眼の欧米人はまばゆい光に弱いのだと。しかし、同じ欧米人でもアメリカ人はフランスの部屋は暗いと感じるという。

したがって、私としては、むしろ、フランス人の光の感覚それ自体が、彼らが長いあいだ親しんできたローソクの炎によって規定されているからだという見方を取りたい。

すなわち、フランス人の光の感覚はローソクの炎を基準にして長い年月をかけて形成され、この照度をもっとも心地よいと感じる感性ができあがっていたところへ、突然、まばゆい電気照明が出現したため、瞳がいっせいに拒否反応を示し、裸電球を見ないようにランプ・シェードをかぶせたという説である。

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専門は19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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