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ピカソの模写300点!ポップアートの巨匠、田名網敬一が個展を開催。その思いを語る

日本のポップアートの第一人者、田名網敬一が原宿の「NANZUKA UNDERGROUND」と、中目黒の「3110NZ by LDH kitchen」の2会場で個展「世界を映す鏡」を開催中! 彼は、今もなお毎日制作活動を続け、見るものの心を揺さぶる作品を世に送り出している。そんな田名網の制作活動は、コロナ禍に見舞われた中で一変する。予定していた海外での展覧会や大学の講義、プロジェクトなどが宙に浮かび、締め切りやスケジュールに追われるという若い頃から60年以上も続いてきたルーティーンがストップしたのだ。人生で初めてとなる体験の中から見えてきたものとは何か? なぜピカソの模写にたどり着いたのかを語る。

コロナ禍で生活が一変。その中で見えた光とは?

コロナ禍になって、いろんな仕事が全部なくなっちゃって……。

規則正しい生活をしてきた僕にとって、これまで予定していたことがなくなってしまうと、ぽっかりと穴が空いたような感じで、生活のバランスがおかしくなったんです。時間割をきっちりと作って、その通りに仕事をやってきたのに、それがすべてなくなったったわけだから。心のバランスというよりも肉体的なバランスが崩れましたね。

こんな時期だから、ゆっくり休めばいいのにと思ったけれど、長年の習慣とは恐ろしいもので、「何かやらなければ」という思いがふつふつと沸いてきたんです。

そんな時、ふと、アトリエの床に放置していた埃(ほこり)だらけのキャンバスが目にとまりました。1943年にピカソが描いた母子像(Mère et enfant)を私が模写したものです。

実は、僕が高校生の時に、高校のすぐそばに画材店がありました。そこのおばさんにね、「あんた、絵がうまいわね。キャンバスと絵の具あげるから、ルノワールやゴッホなどを描いてきて」と言われたんです。最初はなんでそんなことを言うのかわからなかったけれど、言われるがままに絵を描いて画材屋さんに持って行きました。すると、「これはいい。すごくいいわ」と喜んでくれて、その絵を店に飾ったところ、あっという間に売れたんです。その噂(うわさ)が学校中に広まってひどく怒られたので、すぐにやめました(笑)。ピカソの模写にはそういう懐かしい思い出があります。

それをコロナ禍でポカンと空いた時間に思い出して、“ピカソの絵を描いてみよう”とひらめいたわけなんです。

僕は、“ピカソの母子像”という作品が好きなので、その母子像を中心に描きはじめました。10枚ぐらい描いたら飽きるかなと思ったんだけど、描いても描いても面白くてやめられなくなってね。結局、3年で500枚ぐらい描きました。

関連情報

Profile

田名網敬一

1936年 東京都生まれ
1958年 武蔵野美術大学卒業
1975年 月刊「プレイボーイ」誌 アートディレクター就任
1991年 京都造形大学大学院 情報デザイン学科 教授
2016年 京都造形大学大学院 芸術研究科 教授
現在、東京都にて活動中

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