×

【what to do】刺繍になぜ魅せられるのか? その理由を横須賀で考える

エヴァ・ブラーズドヴァー(刺繍)/パヴェル・ブラーズダ(原案)《城》1957-58年、個人蔵

何か面白いことが起きていないか、知的好奇心にあふれる『マリ・クレール』フォロワーのためのインヴィテーション。それが”what to do”。その時々のトピックを取り上げて紹介する。初回は、横須賀美術館(神奈川県横須賀市)の企画展で出会った刺繍のアナログな魅力について。

2年ほど前のことだと思う。取材で出張した鹿児島市から東京に戻る日、出発まで少し時間があったので、郊外にある知的障害者支援センターの「しょうぶ学園」を訪ねた。そこにあったギャラリーで布製の小さなペンダントを買った。価格は1800円。布に糸を縫い込み、それを丸めて違う素材の布やビーズを束ねていく。小さな宇宙を直径3センチに満たない球形に閉じ込めたよう。手仕事の痕跡がくっきり残り、ぬくもりも感じさせる。作者は溝口ゆかりさん。この施設のアートスタジオで「立体の刺繍」を手がけている。

2年前に買った溝口さんの作品。ペンダントトップは糸と布が絡み合い、カラフルな生きもののよう(撮影・高橋直彦)

しょうぶ学園は、1992年から本格的に活動を始めた「nuiプロジェクト」で国際的に知られる。障害を抱える人たちが「針一本で縫い続ける」という行為を通して、既存のアートやファッションのあり方を揺さぶってきた。作品の中には、4年かけて色とりどりの糸を縫い重ねてシルエットがすっかり変わってしまったシャツもある。それが何とも美しい。

刺繍は今、ちょっとしたブーム?

近年は現代美術の企画展でも、こうした作品が展示される機会が増え、柄にもなく刺繍に関心を持つようになった。実際、刺繍をテーマにした美術展も頻繁に開かれ、6月初旬に訪ねた東京・天王洲の複合文化施設でも入居する八つのギャラリーのうち、二つが刺繍をテーマに個展を開いていた。事情通によると、「おうち時間」ができたこともあって、手芸としての刺繍も幅広く人気を集めているのだとか。刺繍は今、ちょっとしたブームなのだ。

横須賀美術館で開催中の「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」展も、予告のチラシを見かけたときから、「行く」と決めていた。で、訪れると、いい意味で期待を裏切られた。「美術作品」としての刺繍に加え、民俗衣装や土産用の壁掛けに施された刺繍といった手仕事によるアノニマスな「刺繍」の広がりも紹介してあったからだ。句点で終わる今風のタイトルから、ハイブローで「洗練」された展示を勝手に思い描いていたが、むしろ「混沌」としていて「豊饒」――。そんな印象に近い。面白かった。

刺繍をテーマにした近年の美術展は「刺繍=手芸=ファンシー」という一般の人が抱きがちな先入観を打ち破ろうと、作家性を強調するあまり、頭でっかちな企画になってしまいがちだった。結果として、展覧会が異なっても出展作家の顔ぶれが似通ってしまい、正直、「またか」と感じることもあった。そんな既視感が今展にはない。

《カロタセグ地方ハンガリー人エプロン》(部分)20世紀半ば、個人蔵

ジャンルを横断して刺繍の魅力を紹介

展示は、4章仕立て。様々な分野を横断しながら、約230点の作品を通して刺繍の魅力を探っている。第1章は「刺繍と民俗衣装」。ルーマニア中部トランシルヴァニアのカロタセグ地方に残る刺繍と、手工芸が伝統的に盛んだったスロヴァキアで制作された華やかで細密な刺繍を、民俗衣装とクロス類を中心に紹介している。美術館というより博物館の雰囲気。「民族」ではなく「民俗」なのがミソで、生活の中で受け継がれてきた伝統的な刺繍の魅力を知ることができる。

《エプロン》スロヴァキア民俗芸術制作センター蔵

第2章は「イヌイットの壁掛け」。カナダの先住民族、イヌイットの人たちが制作した壁掛けは、20 世紀後半、狩猟から定住へと生活が変わる中で生まれた。経済的自立のために作られ、1960年代以降、土産品として人気を集めたという。大胆で力強い造形の魅力はもちろん、氷の家、犬ぞり、 狩猟など、かつての生活スタイルと文化の記憶を語り継ぐ資料としても価値がある。いずれも初めて見たが、懐かしい気持ちに包まれた。制作された時代も場所も違うが、江戸時代、人気の土産物だった「大津絵」を眺めた時に受けた印象と似ている。

サラ・イヌクパック《ダッフル製壁掛け〈お魚の話をするイヌイット〉》北海道立北方民族博物館

近現代の作家に焦点を当てた展示も充実

第3章の「刺繍と絵」は、近現代の作家に焦点を当てたイマドキの刺繍展らしい展示。画家だった息子の創作した原画を元に刺繍をしたエヴァ・ブラーズドヴァー(チェコ)をはじめ、絵本作家のエヴァ・ヴォルドヴァ―(チェコ) とホジェル・メロ(ブラジル、5月末の訪問時はコロナ禍の影響で未着)、樹田紅陽(京都)、小林モー子(フランス、日本)、蝸牛あや(東京)による、それぞれの多彩な「糸で描く物語」 を楽しめる。加えて、童画家の草分け、武井武雄と、現代の刺繍家、大塚あや子が協業した作品も目を引く。

小林モー子《犬(シュナウザー)のブローチ》2018年、作家蔵

第4章の「刺繍とファッション」の展示にも意表を突かれた。様々な刺繍が施された服を並べるのだろうと思っていたが、実際はフランスのオートクチュール刺繍の専門工房の仕事に焦点を絞る潔さ。クロッシェ・ド・リュネビュルという特殊なかぎ針を用い、ビーズ、モール、そして羽根など、あらゆる素材を縫い留めることのできる、専門性の高い刺繍技術。その粋を1956 年創業のパリの刺繍工房メゾン・ヴェルモンの作品を通して一覧することができる。

メゾン・ヴェルモン《刺繍サンプル》2004年、メゾン・ヴェルモン蔵

それにしても、刺繍はなぜこうも魅力的なのか? 展示を見終わって改めてそう思う。ありきたりだが、デジタル全盛の世相に対する反動もあるのだろう。近年開かれる現代美術展の多くで、デジタル技術に制御された映像が大きな位置を占めるようになった。一つひとつは面白いし、刺激的なものも多い。ただ、見終わって、疲れた割に十分な手応えがあったかと言えば……。それが刺繍は違う。素材の生み出す様々な表情に加え、作り手の身体や思考の痕跡までも直接伝わってくる。まさに「手応えのアート(技術)」。単純に表現として力強いのだ。

蝸牛あや《蝶》2020年

理想的な空間で刺繍の奥深さを堪能する

「確実に、痕跡をとどめて形にしたいという気持ちがあります。表面に乗せるだけじゃなくて、裏表通して縫い留めるということが、私にとっては大きな意味を持っていると思います」。そう出展作家の蝸牛さんは企画担当者のインタビューに応えている。表面に塗るのではなくて、そこに空気を含んだ糸を縫い留め置いていくこと――。そこが絵画との大きな違いだとも話す。刺繍を表現手段として選んだ多くの人にとって共通する思いなのではないか。そんな無言のメッセージを作品から感じ取るのもいいだろう。山本理顕が設計した開放的な美術館は、手仕事による時間が堆積された刺繍作品にじっくり向き合う場所としても最適な空間だ。

現代建築の名作として国内外から注目を集める横須賀美術館。高台にある美術館からは東京湾を一望できる

展覧会情報
「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」
会期: ~6月27日(日)
会場: 横須賀美術館(神奈川県横須賀市)
TEL: 046-845-1211
URL: https://www.yokosuka-moa.jp

Profile

高橋直彦

マリ・クレール副編集長。隠れ家の茶室もどきに風炉を据え、今年の夏支度が完了。

リンクを
コピーしました