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Culture

【鹿島茂・パリのパサージュ・6】パサージュ・ジュフロワでぜひ訪れたい8店

コロナ禍で旅行に行けない今、極上のエッセイで楽しむパリ散歩はいかが?  フランス文学者の鹿島茂さんにはパリに行くたび足を運ぶ場所がある。それはパサージュ。「パサージュには、バルザックやフローベルの生きた19世紀という『時代』がそのままのかたちで真空パックのように封じ込められている」という鹿島さんのガイドで9つのパサージュへとご案内。今回は「パサージュ・ジュフロワ」へ。 (本記事は鹿島茂:著『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(中公文庫)から抜粋し作成しています)


創業当時の華やかな雰囲気をそのままに

人が現在、パサージュという言葉から連想するのに最もふさわしいパサージュである。すなわち、適度に寂れ、適度に古び、適度に賑わい、適度に繁盛し、適度に清潔で、適度に品格のあるパサージュで、ノスタルジーと購買欲をほどよく刺激するブティックが並んでいる。ギャルリ・ヴィヴィエンヌやギャルリ・コルベールのように復元的な改装を施されることもなく、また、かといって、ギャルリ・ヴェロ=ドダやパサージュ・デ・パノラマのようにうらぶれて荒廃することもなく、創業当時の華やかな雰囲気をそのまま残している数少ない例といえる。

夕暮れ時のパサージュ・ジュフロワ。照明が灯ると一段と美しくなる

パサージュ・ジュフロワが開通したのは1847年の2月のこと。パリのパサージュの中では最も遅い部類に属する。

パサージュ・ジュフロワのモンマルトル大通り側の入口には19世紀の初めまで5階建ての建物があり、トルコ大使館が入居していた。次いで、その建物はロシアの富豪の所有となり、1820年代にはオペラ座などグラン・ブールヴァールに面する劇場の俳優や歌手が多く住んだ。1836年にこの建物は取り壊され、大きなホテルが建設されたが、パサージュ・ジュフロワは、当初、「グラン・トテル・ド・ラ・テラス・ジュフロワ」と呼ばれたこのホテル(現在はホテル・ロンスレー)のファサードの真ん中を貫通するかたちで開通することとなった。


しかし、困ったことに、開発会社が所有していた土地は、グランジュ=バトゥリエール通りに直線的に伸びるのではなく、クランク軸のように、途中でL字形に折れ曲がっている複雑な地形をしていた。さらに、グランジュ=バトゥリエール通りとの間に段差もあった。そこで、設計を担当したデタイエとロマン・ド・ブールジュは一計を案じ、モンマルトル大通りからできる限りまっすぐにメインのパサージュを造った後、突き当たりで左折し、再び右折して、グランジュ=バトゥリエールに出るように図面を引いた。段差は、このクランク曲がりの部分に階段を設けて解決することにした。

結果的には、この苦肉の策が、パサージュ・ジュフロワを単調さから救い、散策に適したパサージュにしたのである。

パサージュ・ジュフロワは、第二帝政から第三共和政の前半にかけての時期、すなわち、グラン・ブールヴァールがパリはおろか、ヨーロッパ全体の「盛り場」として君臨していた時期に、軌を一にするように全盛を迎えた。その繁盛ぶりは、一八六七年のパリ万博のさいに盛り場案内として出版されたアルフレッド・デルヴォーの『パリの歓楽 挿絵入り実践ガイド』に詳しい。

「パサージュ・ジュフロワは、散策者(フラヌール)の群れでごったがえしているので、毎日、午後4時からは、行き交う人々の波をかき分けるには断固として、また真剣に肘を使わなければならない。なにしろ、人の波は、ドーヴァー海峡のニシンのようにびっしりと隙間なく詰まって押し寄せてくるからである。(中略)さて、私がこうした描写をしても、それが雨の日のことではない点に注意していただきたい。雨の日には、このパサージュを通り過ぎることは不可能なのである。前進しているつもりが後退しており、半時間かけてようやくパサージュの中ほどまで来たかと自画自賛していると、その半時間後には、人の波に押しまくられ、1時間前に入ったはずのブールヴァールの入口まで押し戻されているのである」

アルフレッド・デルヴォーは、いったいなぜこれほどの人出があるのだろうかと自問し、おそらく、毎日ここに散策に来る人々もその理由を知らないだろうと答える。つまり、人々は、ここを待ち合わせの場所に指定し、出会えないことを心配することなく、適当にやってきては、ぶらぶら歩きを楽しんでいるのだろうと推測するのである。デルヴォーはさらに、目ざとい風俗観察家らしく、次のような人々がこのパサージュの常連であることを指摘している。

「ブールヴァールの常連の女性たち、あるいは少なくとも常連の女性の大半は、ブレダ・ストリートという愛の島の高台から下ってくる途中に、このパサージュを通過するのを常としている。そして、彼女たちはその戦闘的な化粧法においてかくも挑発的であるため、これら流しの女たちの歩くあとからは、彼女たちをできる限り近くから眺めようと、そして、彼女たちと名刺交換に等しい視線の交換を行おうと、鼻下長族がひしめき合いながら付いてくるのである」

ほのめかしの多い文なので分かりにくいが、ようするに、粋筋の女性たちが多く住む新興住宅地であるブレダ通りから、派手な化粧をした私娼たちが、その戦場たるグラン・ブールヴァールへと下ってくるとき、パサージュ・ジュフロワは彼女たちの通り道になっているので、私娼目当ての男たちもまた、ここに集まってくると言っているのである。

ミュゼ・グレヴァンの出口とオテル・ショパンの入り口

パサージュ・ジュフロワの呼び物となったのは、1882年から入口の左に隣接する建物に入居して、今日に至っている「ミュゼ・グレヴァン」だろう。グレヴァンは、ナダールやギュスターヴ・ドレと同時代にシャルル・フィリポンの「ジュルナル・アミュザン」などで活躍したイラストレーターだが、「ゴロワ」紙で、時の有名人のカリカチュアを発表したところ、これが好評を博したので、その経営者であったガブリエル・トマが、グレヴァンにカリカチュアを人形で作って並べることを勧めた。おそらく、トマの頭には、パサージュ・デ・パノラマのシュスで成功を収めた「ダンタノラマ」があったにちがいない。この人形館のアイディアは大成功を博し、「ミュゼ・グレヴァン」はパサージュ・ジュフロワの名物となったが、トマはそれだけで満足することなく、ミュゼの中に小劇場を設けて、エミール・レイノーの考案になる「光のパントマイム」を上演したが、これは500コマから700コマからなるアニメーションにほかならず、「グラン・カフェ」におけるリュミエール兄弟のシネマトグラフの先駆けとなる画期的な出来事だったのである。この小劇場は今日でもミュゼ・グレヴァンの中にあり、入場者はそこで手品を見学することができる。


「セナック」「トゥール・デ・デリス」「スガ」……

しかし、パサージュ・ジュフロワの繁栄は、グラン・ブールヴァールのそれを越えてまでは続かなかった。すなわち、第一次大戦の勃発とともに始まったグラン・ブールヴァールの衰退は、ある意味、その中心的盛り場であったパサージュ・ジュフロワを巻き込まざるを得ず、大戦の終わった1920年代には、人の波はすでに、オペラ座裏の2軒のデパート、ギャルリ・ラファイエットとプランタンの方へ向かって流れていた。

その結果、1920年代には、さすがのパサージュ・ジュフロワも衰退の一途をたどらざるを得なくなり、テナントも人通りが少なくてもやっていける骨董的な業種へと変わっていくことを余儀なくされた。そして、それとともに、そこで売られている商品も現実的な使用価値を失い、超現実的な礼拝的な価値を帯びるに至ったのである。

だが、まさに、この瞬間に、アンドレ・ブルトンやルイ・アラゴンらのシュルレアリストたちが賛美してやまない、突飛(とっぴ・アンソリット)で両義的(エキヴォック)な魅力がパサージュ・ジュフロワに出現したのである。

現在、パサージュ・ジュフロワは、ベンヤミンの『パサージュ論』に始まるレトロ・モダン的な見直しの風潮によって、かつてのような「落魄(らくはく)の魅力」を失いつつあるが、入居している店舗の協定で業種が固定されているため、パサージュ・デ・パノラマのようなアナーキーな乱雑さには堕(だ)していない。これだけは、パサージュ愛好家にとっての救いである。

グルニエ・ア・リーヴルの賑わい

パサージュ・ジュフロワで訪れる価値のある店をあげておくと以下の通り。

14番地の万年筆専門店「セナック」。30番地、32番地のサロン・ド・テ「トゥール・デ・デリス(「ル・ヴァランタン」)」、34番地のステッキ専門店「スガ」。35番地と37番地の玩具と子供服の店「パン・デピス」、39番地の贈り物用の雑貨小物の店「パン・デピス2番店」、45番地から53番地の映画パンフレット・ポスター専門店「シネドック」、48番地から62番地にかけてのグラフィック関係専門本「グルニエ・ア・リーヴル」(「リブレリ・ポール・ヴュラン」の後身)、それに46番地の二つ星ホテル「オテル・ショパン」などである。この「オテル・ショパン」に宿泊するなら、409号室をお薦めする。窓からパサージュの屋根とミュゼ・グレヴァンのドームを見ることができる。

photos:鹿島 直(NOEMA Inc. JAPAN)

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鹿島茂さん『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』刊行記念講演会
「パリを空間と時間で旅する過去未来旅行」開催のお知らせ

マリ・クレールのWEB連載でもおなじみ、鹿島茂さんのオンラインイベントが開催されます。
連載のテーマであるパリのパサージュを巡るヴァーチャル・ツアーに鹿島さんがご案内! 
終了後には鹿島さんとのオンライン懇親会(30分程度・Zoomを使用)も予定されています。
ぜひご参加ください。
■日時:2021年8月13日(金)20:00~22:00
■チケット料金:【配信参加】4500円+税 ※ALL REVIEWS友の会会員は3,500円+税
詳細はこちら→ https://allreviews.jp/news/5565

Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰

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