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野口絵子「山あり谷ありの人生を」 アルピニストの父と共に山を目指すワケ

「あぁ、おもしろかったな」と思える人生を送るために

――絵子さんが、あえて帰国してまで「やりたいこと」とは何ですか。

AO入試で合格をいただき、来年4月から日本の大学で学びます。地域課題解決について、新しい取り組みをしてみたいと思ったからです。開発途上国に対して、先進国から支援が行われているのですが、支援の振り分けが適正ではないことから、国の中で支援されている地域とそうでない地域との支援格差が広がっています。それを解決するための新しい方法を大学で学びたい。その問題の解決のためには、日本の技術が必要で、それを活かす方法を学んでおくことが大事だと思い、日本の大学を選びました。

――健さんは、どのような反応でしたか

入試の志願書に、志願理由を書く欄があって、先ほどお話した内容を書いた際に、父が代表を務める環境&国際協力NPO「ピーク・エイド」の「代表になります」とも書いたのです。「まだ、早いよ」と苦笑いしていました。父が自分の父親、私にとっての祖父から教わったことに、「世の中のA面とB面」という教えがあって、それを私にも教えてくれました。世の中のよい面だけを見るのではなくて、よくない面、負の面も知っておくことが大事だと、そういう現場に私を連れていってくれました。

私が今回このような進路を選んだのには、父と一緒に訪ねたネパールとかケニアとか、開発途上国で目のあたりした貧困の実情があってのことなので、そうした道に導いてくれた父に感謝しています。

野口絵子

――大学での4年間の学びの先にある、ご自身の人生については、どのように思い描いていますか。

これから先「山あり谷あり」の人生を送っていきたいと思っています。世界を時には1人で、時には友だちと一緒に回って、新しいもの、様々な風景を見ていきたい。困難なこと、むずかしいことにも挑戦したいです。

ただ、高校でニュージーランドに行った時に、最初、「何でも挑戦するのだ」と、ボランティアとか課外活動とか頑張っていたら、疲れてしまったのです。スケジュール帳に毎日予定が入っていて、心に余裕がなくなったので、「これではいけない」と、うまくオンとオフのバランスをとることの大切さを学びました。自分が何をやりたいか、きちんと見極めて、心の余裕をもって、いろいろなことにチャレンジしていくつもりです。

おばあちゃんになって、人生を振り返った時に、「あぁ、おもしろかったな」と思えるような人生を送ることができれば、幸せですね。そうした人生が送れるよう、自分から進んで、私の人生に色付けをしていきたいです。

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Profile

野口絵子(のぐち・えこ)

2004年・東京都生まれ。父・野口健と9歳の頃に八ヶ岳で雪山デビュー。14歳で初ヒマラヤを経験し、15歳でキリマンジャロに登頂。父と共に富士山清掃活動などにも参加。イギリスの中学、ニュージーランドの高校を経て、来春から日本の大学に進学予定。

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