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野口絵子「山あり谷ありの人生を」 アルピニストの父と共に山を目指すワケ

キリマンジャロまで6年

――15歳でキリマンジャロに登頂します。山登りの魅力に目覚めたきっかけは何ですか。

八ケ岳の冬山登山からしばらくして、テレビでキリマンジャロの登山をあつかった番組を見たのです。過酷な冬山を経験したことで少し自信がついていたのだと思います。キリマンジャロの頂上付近の映像を見て、「ここなら私も登れるかもしれない」と思ったのです。

キリマンジャロの頂上付近は森林限界を超えていることから草木がなくて、傾斜も緩やかなところが多いので、山のことを知らないと、そう見えるのですよね。それで、父に「キリマンジャロに登りたい」とメールをしたのです。当然のように父は驚いていたのですが、「わかった」と言ってくれました。そして、「そのためには絵子さんの時間をください」と言われました。つまり、標高5895mのキリマンジャロに登るためには、体を鍛え、経験を積まなくてはいけない。何度も一緒に山の合宿にいって準備をしないといけない。そのための時間をください、というのです。

それで、15歳までの6年ほど、何度も2人で山の合宿に行って、2019年7月に初登頂しました。午前0時に最終キャンプを出発したものの、途中、ずっと吹雪だったのです。午前6時半になんとかピークに着いたのですが、周りは真っ白で山頂からの景色はまったく見えませんでした。下山して、「山頂からの景気が見えなかったので、また登りたい」と言うと、また父は驚いていました。

野口絵子

――今年3月に出された健さんとの共著「父子で考えた『自分の道』の見つけ方 『正解』を選ぶのではなく、選んだ道を『正解』にすればいい!」では、コロナ禍で帰国がままならなくなった絵子さんと健さんが、ニュージーランドと日本との間で交わされた会話で構成されています。健さんとのやりとりで、何か新しい発見はありましたか。

私が小学生の頃に、父が「絵子と一緒に本を出したい」と言ってくれたことがあって、それをずっと楽しみにしていたので、このお話があった時は、「ついにその時が来たか」と、ほんとうにうれしかったですね。

念願かなったこの本のために、1年近くかけて、改めて父と話すことができました。最初、気が進まなかった父との登山も、回数を重ねるごとに、山の魅力に目覚めることができたのに加え、父との会話から多くのことを学ぶことができ、貴重な時間だと思えるようになりました。

――本がいいきっかけになったのですね。

改めて話してみると、意外と父は私に、自分が思っていることを話してくれていなかったことに気がついたのです。たとえば、あの冬の八ケ岳の時も、あとで「トラウマになったのではないか」と、とても気にやんでいたことを今回初めて知りました。同時に、父がこれだけ気遣ってくれていたのに、自分は父の気持ちをあまりケアしていなかったことにも気がついたのです。これまで私はずっとサポートしてもらう立場でしたけれど、この本をきっかけに、これからは互いに支え合う関係になりたいと思いました。

アルピニスト・野口健 野口絵子

――中学はイギリス、高校はニュージーランドの学校で学んだ上で、来年4月からは、日本の大学に進学することを決断されました。その決断には、どのような背景があったのでしょう。

中学校は父の母校でもあるイギリスの日本人学校に通いました。大切な友だちもたくさんできて、最初はそのまま高校に進むつもりでいたのですが、次第にもっと違う世界に接してみたいと思うようになり、1年くらい進路について悩んでいました。

そういうときに、父とヒマラヤでトレッキングに出かけ、登頂した際に、すぐ後ろで登っていたロシア人の姉妹と思わずハイタッチしたのです。その瞬間に、もっといろいろな国の人と接したいと思い、ニュージーランドの学校での寮生活を選ぶことにしました。

――ニュージーランドの生活はいかがでしたか。

ニュージーランドでは、コロナ禍で帰国ができなかったなか、何もかも自分でやらなくてはならない環境で、自主性が養われました。このまま現地の大学に進む道も考えたものの、自分がやりたいことを実現するためには、日本に戻って学ぶことが欠かせないと思い、帰国することにしました。

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Profile

野口絵子(のぐち・えこ)

2004年・東京都生まれ。父・野口健と9歳の頃に八ヶ岳で雪山デビュー。14歳で初ヒマラヤを経験し、15歳でキリマンジャロに登頂。父と共に富士山清掃活動などにも参加。イギリスの中学、ニュージーランドの高校を経て、来春から日本の大学に進学予定。

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