『ブリジット・ジョーンズの日記』最新作がついに公開! 主演レネー・ゼルウィガーが語る、今の時代こそブリジットが必要な理由
2025.4.11
2025.4.11
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本誌表紙撮影の数日前、レネーがオンライン電話に出たとき、彼女はニューヨーク・ブルックリンの広々としたホテルの部屋にいた。私はといえば、『ブリジット・ジョーンズの日記』のこれまでの3作を徹夜で一気見した長距離フライトの直後だった。つまり5時間28分間、ブリジット・ジョーンズの象徴的なアッパーミドルクラス(中流階級の上層に位置する世帯)のロンドンなまりを聞き続けたことになる。だから、彼女が生まれ故郷の米国南部なまりで話し始めると、何が起こっているのか理解するまでにちょっと時間がかかった。彼女はまたトラッカーキャップ(もともとはトラック運転手の帽子)をかぶっていた。このギャップのある組み合わせは、フィールドリングが正しかったことをはっきりと示している。レネーはブリジットとは別人である。どんなにブリジットと同一視されるようになったとしても。レネーは、実家のクリスマスパーティーでプレイボーイ・バニーの格好をしているよりも、車の下でサスペンションの点検かオイル交換をしている可能性のほうが高い。
レネーは弟ドリューとともに、ヒューストンの西にある都市ケイティーで育った。母親のケルフリッドはノルウェー北部出身、父親のエミールはスイス生まれである。レネーの両親はデンマークからノルウェーに向かう船で出会い、後に「お互い以外、何も持たない」状態で米国に移住した。
「私は本当に恵まれた子ども時代を過ごしました」とレネーは言う。「両親が家族のために築こうとしていたものはシンプルさと愛情で、物を得ることではなく、経験が重要であるという環境で育ったことはラッキーでした」
「そうした経験の中には旅行もあり、また、より実用的な、例えば整備士のような経験もありました」
「父は本当に実用的な人です。彼にはできないこともやりたくないこともありませんでした。そして、自分がやることはなんでも私たちにやり方を学ばせたいと思っていました」と振り返る。
「父がガレージで作業をしていて、私の名前を呼ぶのが聞こえたら、その日はもうバービー人形で遊ぶのはおしまい」と彼女は笑いながら言う。「なぜなら、車のCVブーツを交換することになっていたり、エアコンに問題があるからと屋根裏部屋に上がって、その修理をしたりすることになっていたから」。その経験から、彼女は片付けや問題を解決することを学んだ。(後に共演者となり婚約者ともなった俳優ジム・キャリーは、レネーについて「彼女は、楽しい時間を過ごすというのは、ユーホール(引っ越し用のトレーラーなどのレンタル会社)を借りて、テキサス州まで家具を運ぶことだと思っている。彼女はそういうところが本物だ」と語っている。
彼女は俳優になるつもりはなく、英文学を学んでいた。自らを「落ちこぼれジャーナリスト」と表現する。「書くことは私にとってごく自然なことでした。書くことが大好きなんです」と言う。「私はいつも、それこそが私のやるべきことだと思い込んでいました」。選択科目として演劇を選択したことで、舞台とクリエイティブなコラボレーションに触れる機会を得た。「その街(テキサス)で素晴らしい時間を過ごしました。恵まれた環境にいることはわかっていても、その瞬間がどれほど特別なのかは、振り返ってみるまでわからないものです」と言う。「アート、音楽、映画の合流地点で、そういうクリエイティブな人々やメディア、そして境界線はすべて柔軟でした。モデルや俳優が必要なら、誰かに頼んで来てもらうだけのこと。音楽も作りました。誰もが一緒に働き、そのときに情熱を傾けられることをしていたのです」
レネーは、1993年のスケーター・ストーナー(スケートボーダーと大麻をたしなむ人のライフスタイルを組み合わせた言葉)の青春映画『バッド・チューニング』を含め、低予算のインディーズ映画や地元制作の作品、CMで小さな役を演じ始めた。翌年には、ウィノナ・ライダー、ベン・スティラー、イーサン・ホーク主演の『リアリティ・バイツ』に端役で出演。そこから快進撃を続け、次々と映画に出演し、数え切れないほどの賞や絶賛のレビューを得た。それでも、彼女はインポスター症候群に悩まされていた。自分の才能や経験に自信が持てず、長年ロサンゼルスへの移住を先延ばしにしていたが、1995年にようやく思い切って挑戦。彼女のブレイクは翌年、『ザ・エージェント』でトム・クルーズの恋の相手役を演じたときだった(「あなたがハローと言ったときから好きだったわ」はレネーが演じたドロシーの名セリフ)。
レネーは自らを「落ちこぼれジャーナリスト」と考えているかもしれないが、生まれ持った好奇心と研究熱心な性格を役作りに生かしている。1作目の小説『Bridget Jones’s: Diary(ブリジット・ジョーンズの日記)』の映画化に先立ち、彼女は方言指導のコーチと協力してブリティッシュ・アクセントをマスター。フィールディングの作品を刊行している出版社、ピカドールで覆面の職場体験もした。ブリジット・キャベンディッシュ(映画プロデューサーのジョナサン・キャベンディッシュの名字を使用)という名前を使い、フィールディングのファイリング用に新聞の切り抜きを集めるのも仕事の一部だったが、その多くは、ブリジット・ジョーンズ役をアメリカ人俳優が演じることに対する苦情だった。3作目でブリジットがTVプロデューサーとなる際には、レネーは実際の朝の番組のプロデューサーを尾行した。彼女はまた、ブリジットの妊娠の準備として、何時間も出産のビデオを観た。今回は、単純に(前作から)時間が経っているという理由で、ブリジット役に戻ることがより難しかった。レネーは、慎重に少しだけ過去作を鑑賞したと言う。「何かを真似したいとは思わないので、ブリジットの映画全作をじっくりと観ることはしません。ブリジットは同じではないので」。その代わり、ブリジットのアクセントや独特の歩き方に、改めて慣れ親しむために部分的に鑑賞した。「彼女の歩き方や動きには他者に対して心を開き、思いを共有する姿勢があって、それがとても美しいと思います」とレネーは言う。
This article was originally published by Alexandra English on Marie Claire Australia
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