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史上初! 男女同数参加の「パリ2024オリンピック」平等までの道のりを振り返る

3. 1928年:女性が200mを超える距離を走ることが禁止される

そう、その通り。女子陸上競技がオリンピックにデビューした同じ年に、長距離走が禁止されたのだ。

1928年の大会では、800mを走り終えた女子選手が疲労困憊(こんぱい)している様子が報告された。IOCの指導者たちは、これは過度の運動であることを示すものであり、女性の体はこのような競技に出場するには弱すぎるのではないかと懸念した。その後32年間、女子は800mに出場することができなかった。

4. 1932年:オリンピック村が初めて建設される……しかし女性は招待されず

1932年のロサンゼルス大会で、オリンピック村が初めて正式に宿泊施設として採用されたが、招待されたのは男子のみで、代わりに女子選手は地元のホテルに宿泊した。

(公式サイトによると、1924年パリ大会で競技場の近くに宿泊用のコテージが建てられたことが選手村の始まり。女子が宿泊できるようになったのは1948年ロンドン大会から)

5. 1960年:800mが復活!

32年もの長い間(正直に言おう、不必要だった)待たされた末に、1960年のローマ大会で、ようやく女子はふたたび800mに出場できるようになった。この種目は、1972年ミュンヘン大会で、女子選手に1500mレースが導入されるまで、最長競技だった。

6. 1968年:Anita Neil(アニタ・ニール)が、英国チーム初の黒人女性オリンピック選手に

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1968年のメキシコ大会で、短距離走者のアニタ・ニールMBE(名誉大英帝国勲章メンバーを授与された人の称号、以下同じ)がイギリス初の黒人女性オリンピック選手となった。彼女は100mと4×100mリレーに出場。1972年のミュンヘン大会でも同じ種目に出場した。

英国チームのウェブサイトに掲載されたインタビューで、彼女は次のように語っている。

「私はチームで唯一の非白人であることはわかっていました。でもそのことについてそれ以上は考えていませんでした」

「私は(チームに)溶け込もうとしていたけど、イギリス初の黒人女性オリンピック選手であることは素晴らしいことです。本当に誇りに思っています」

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7. 1972年:全オリンピック選手に占める女性の割合はわずか14.8%だった

52年前の1972年ミュンヘン大会では、全オリンピック選手に占める女性の割合はわずか14.8%だった。一方、1992年のバルセロナ大会では、女性は全オリンピック選手の28.9%を占めた。

8. 1981年:ついに女性メンバーがIOCに参加

87年間、IOCは男性のみで構成されていた。1981年、フィンランドの元アスリート、Pirjo Häggman(ピルヨ・ヘッグマン)とベネズエラの元アスリートでジャーナリストのFlor Isava Fonseca(フロール・イサバ・フォンセカ)という2人の女性が委員会に加わり、初めてオリンピック指導者の役割を担った。

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9. 1984年:ついに女性のマラソン参加が認められる

オリンピックで初めて女子アスリートのマラソン出場が認められたのは、わずか40年前のことだ。9人の選手が2時間30分を切るという、当時としては女子マラソン史上、最速を記録した。

1984年のロサンゼルス大会では、アーティスティック・スイミング、自転車競技、新体操、射撃などを含む、いくつかの競技に女性が参加できるようになった。七種競技もまた、五種競技に取って代わった。

10. 1991年:すべての新競技に女子種目を含めるべし

ようやくだ。1991年、IOCはオリンピックへの参加を申請するすべてのスポーツに女子種目を含めることを義務づける、新しい規則を導入した。

11. 1996年:ビーチバレーに女子が初出場……ただしビキニ着用が義務づけられる

ビーチバレーは1996年アトランタ大会でオリンピックの正式種目となり、1991年に新しい競技には女性選手も参加することを義務づけたルールのおかげで、女性も参加できるようになった。しかし、女性はビキニや水着以外での出場は禁止されていた。これは、イスラム教徒の女性などの多くが参加できないことを意味し、女性アスリートの性的対象化を助長した。

ユニホームは今も議論の的となっている。ナイキは今年初め、米国チームの2024年オリンピック公式ユニホームの見本を公開。男子用はレーシングベストと膝丈のサイクリングショーツ、女子用は極端にハイカットのレオタードで、世界的な怒りを巻き起こした。しかし、ユニホームはパフォーマンスにおいて重要な要素である。

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「トラックで走るにせよ、オフィスで働くにせよ、何をするにしても、自分自身の気分がよくなければなりません」と語るのは、元短距離走者でオリンピック選手、今大会『BBC』で朝の中継のキャスターを務めたJeanette Kwakye(ジャネット・クワッキー)MBEだ。最も重要なことは、アスリートに選択肢があること、そしてユニホームの好みに基づいて女性を排斥しないことだと彼女は言う。

12. 1999年:強制性別検査の廃止

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1930年代から1940年代にかけて、陸上競技を統括する国際陸上競技連盟(IAAF)が、(外見や運動能力から)「疑わしい」と判断した女性アスリートの性別を身体検査でランダムにチェックしていたことがきっかけで、性別検査が始まった。1968年、IOCは強制的な性別検査を導入したが、1972年ミュンヘン大会の五種競技の金メダリスト、北アイルランドの陸上選手Mary Peters(メアリー・ピーターズ)は以前、「私の人生で最も粗野で屈辱的な経験だった」と語っている。

1967年には染色体を使って性別を判定するバール小体検査やホルモン検査など、さまざまな性別検査が登場した。1999年、ついにオリンピック参加者に対する強制的な性別検査は廃止された。しかし、参加資格の規定は国際連盟が責任を負っているため、多くのインターセックスやトランスジェンダーの選手がオリンピックに出場するのに、いまなお数々の困難に直面している。

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