史上初! 男女同数参加の「パリ2024オリンピック」平等までの道のりを振り返る
1948年ロンドン大会、女子体操の米国チーム FPG / Getty Images
ギリシャ・アテネで1896年に行われた第1回オリンピックに参加できたのは男性のみだった。それから120年以上がたった2021年の東京大会で、参加アスリートの48.7%が女性となり、それまでで最も男女のバランスが取れた五輪に。そして今回のパリ大会でついに、男女同数が実現した。男女平等までの長い道のりにおける、14の歴史的瞬間を振り返る。マリ・クレール インターナショナルの英国版デジタル記事よりお届け(一部省略)。
オリンピックにおける平等:大会の簡単な歴史
近代オリンピックは1894年、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵によって創設された。クーベルタン男爵は、スポーツが教育の発展を支え、世界各国を巻き込んだオリンピックの復活が国際平和の推進につながると信じていた。彼はまた、女性はオリンピックに出場する資格はないと考えていた。
もちろん当時、女性にはほとんど権利がなく、子育てや妻としての義務を果たすことが主な役割だった。オリンピックに出場することは、その目的をまっとうするための彼女たちの能力を危険にさらすことになると考えられていた。「クーベルタン男爵は非常に保守的な貴族家庭の出身でした」と、オリンピックにおける女性たちについて研究しているデンマーク・オーフス大学の准教授で、『Women in the Olympics』の共著者であるJörg Krieger(ヨルグ・クリーガー)は説明する。「ここで間違いなく重要なのは階級の問題です。さらに、女性が専門的なスポーツに参加することに健康上のリスクがあるのではないかという医学的な懸念もありました」。女性が運動中に 「身体能力の限界」を超えることで、生殖機能に問題が生じたり、スポーツに従事することで男性性が高まったりすることが恐れられていたのだ。それが何を意味するのかはさておき。
クーベルタン男爵は1912年の手紙の中で、女性が競技に参加する可能性について、「非現実的で、面白みがなく、ぶざまで(中略)不適切だ」と書いている。悲しいことに、これは多くの人に共有された意見であり、その結果、彼がこの言葉を書いてから、オリンピックですべての競技に女性が参加できるようになるまでに、1世紀を要することになった。
1900年パリ大会、テニスのミックスダブルスで金メダルを獲得した英国のシャーロット・クーパー選手 Photo: Popperfoto / Getty Images
1900年の第2回パリ大会は、国際オリンピック委員会(IOC)が主催したものではなかった。IOCは、クーベルタン男爵が大会の運営を支援・監視するために結成した組織で、当時はメンバー全員が男性だったため、クーベルタン男爵の影響力はさほど大きくなかったのだ。その結果、女性も出場できることとなり、パリ大会ではクロッケー、馬術、ゴルフ、セーリング、テニスに22人の女性アスリートが参加した。女性は全選手の2.2%だった。「これらのスポーツは、丈の長い服を着ることができ、体型があまり目立たないので、女性アスリートにふさわしいと考えられていました」とクリーガー氏は言う。これらのスポーツは身体的な負担が少なく、女性が“優雅さ”と“女性らしさ”を保ちながら競技に参加できると考えられていたのです」
1900年パリ大会、馬術の英国チーム Photo: Hulton Deutsch / Getty Images
では、当時から現在までの間に何が起こったのか? 主要な14の画期的な出来事については、このまま読み進めてほしい。
オリンピックの平等への道 – 大会の歩みを浮き彫りにする驚くべき14の重要ポイント
1. 1921年:初の「女子大会」開催
1921年、IOCが女子選手の陸上競技出場を許可しなかったため、モンテカルロで女子オリンピックが開催された。
1922年、フランスのフェミニストでボート選手のAlice Milliat(アリス・ミリア)が、女性スポーツにおける女性のリーダーシップを確かなものとするため、第1回国際女子競技大会を開催。5か国から75人の女性が参加し、2万人の観客が集まった。その後、この大会は1926年、1930年、1934年にも開催された。
この大会を主催していた国際女子スポーツ連盟は、女子スポーツがIOCと国際陸上競技連盟(IAAF)に統合されつつあったため、1934年の大会を最後に解散した。
2. 1928年:初めて女性が陸上競技への参加を認められる
当初は、女性が高強度の激しいスポーツ活動をすることは見苦しく、安全でないと考えられていたため禁止されていたが、1928年に初めて陸上競技(100m、4×100mリレー、走り高跳び、円盤投げ、800mの5種目)がプログラムに加えられた。この決定は、女子スポーツにおける女性のリーダーシップに対するIOCの懸念と、アリス・ミリア選手の国際女子競技大会の成功に大きく影響された。この大会では、100mを除くすべての種目で女性アスリートが世界記録を樹立した。