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<行定勲のシネマノート>第31回 『映画の長さ』

『象は静かに座っている』シアター・イメージフォーラムほかにて順次公開中(c)Ms.CHU Yanhua and Mr.HU Yongzhen

【11月14日 marie claire style】映画でいつも悩まされるのは尺の問題だ。私の長編映画は2時間を超えてしまう作品が多い。製作者からはなるべく短いものを要望されるが、どうしても妥協できなくて常に製作者と議論することになる。

 ここ数年、長尺の映画に素晴らしい作品が多いと感じる。中国の新鋭フー・ボー監督の『象は静かに座っている』は、234分かけて見せる現代中国の行き場のない人々の孤独と陰鬱とした想いを、1日に凝縮して描いた人間ドラマだった。

 中国の寂れた田舎町。男は親友の妻と不貞の関係にあり、帰宅してきた親友がそれを知って目の前で自殺してしまう。ある少年は友だちをかばい、不良の同級生を誤って階段から突き落としてしまう。少年のクラスメイトの少女は先生と不純な関係を持ち、その関係を絶たれる。ある老人は大きな犬に愛犬を殺され、大きな犬の飼い主に苦情を入れるが無視される。自責の念にかられる者、喪失に悲しむ者、傷つけられる者、それぞれの事情を抱えながら、満州里にいる、1日中座り続けているという象に希望を抱き、彼らはそこを目指そうとする。閉塞した現代社会から抜け出したいという想いが、深く心に突き刺さる映画だった。

 カットを割らずに長回しで捉えた、噓のないリアルな時間を紡いでいった結果の長さが積み重なっていく。登場人物たちが歩く姿を延々と後ろから追いかけていく長いショットの中に、息遣いや胸の鼓動が感じられ、その場にいるかのような臨場感で、観る者に緊張を与える。始まってから途切れることなく映画的な時間が流れていくのは、この映画作家の純然たるセンスによるものだと思うが、この作品が遺作になったのは残念だ。『雪の轍』のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の新作『読まれなかった小説』も189分の傑作である。小説家志望の青年が故郷に帰ってくる。個性の強い教師である父と相容れない青年。ギャンブル好きのだらしない父のようにはなりたくなくて、小説の出版に奔走するが苦戦する。本を売った金を出版費用にしようとするが、その金も盗まれてしまう。青年は父の可愛がっている犬を内緒で売って資金を作り、本を出版するが・・・。父を肯定できずに対立する息子が、父の真の心情にたどり着いた時の感動は言葉にならない。ジェイラン監督の映画も長尺の作品が多いが、常に個が直面する小さないざこざから端を発し、最後には人間の尊厳にたどり着くところが素晴らしい。ひとりの人間が触れられる世界に噓をつかず、その半径数百メートルの範囲で起こる出来事を緻密に描き、その時間を積み重ねる。彼の映画が世界中の人に共感をもたらすのは、人間の本質を浮き彫りにしているからだと思う。

 映画にはその映画の長さがあるはずである。それぞれが描くべきことを真摯に捉えた映画は、必ず私たちの魂を揺さぶるはずである。

■映画情報
・『象は静かに座っている』
シアター・イメージフォーラムほかにて順次公開中
・『読まれなかった小説』
11月29日(金)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー

■プロフィール
行定勲(Isao Yukisada)
1968年生まれ、熊本県出身。映画監督。2000年『ひまわり』が、第5回佂山国際映画祭・国際批評家連盟賞を受賞。01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし、一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』、『春の雪』、『クローズド・ノート』、『今度は愛妻家』、『パレード』(第60回ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』、『真夜中の五分前』、『ピンクとグレー』などを製作。17年は震災後の熊本で撮影を敢行した『うつくしいひと サバ?』、島本理生原作の『ナラタージュ』、18年は岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』が公開。待機作として『窮鼠はチーズの夢を見る』と又吉直樹原作の『劇場』が2020年公開予定。


(c)marie claire style/selection, text: Isao Yukisada

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