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戦後80年 に「衣服が語る戦争」展から考える戦争と平和【マリ・クレールデジタル編集長の目】

8月15日は終戦記念日。そして、今年は終戦から80年の節目の年です。戦争は人々の生活や価値観を大きく変えます。東京都渋谷区の文化学園服飾博物館で9月20日まで開催中の展覧会「衣服が語る戦争」は、私たちが毎日着ている服にも大きな影響を与えることがわかります。そして、好きな服を自由に着られるのは、平和があってこそ、ということも。

「衣服が語る戦争」展は5部構成になっています。第1章は「戦争の熱気が生む流行」。日清・日露戦争は、人々の戦勝への期待や熱気をもたらしました。ミリタリー風の服の流行や戦争を反映した模様などに表れます。

衣服が語る戦争
ふとん地 日本 1905年

例えば、1905年ごろのふとん地。日露戦争で活躍した戦艦「富士」が、勇ましさとともに描かれています。

衣服が語る戦争
「戦争柄」の着物 日本 1940年

また1940年の着物。男の子の祝い着です。七五三用だったのでしょうか。青い空を戦闘機が舞い、軍艦が白波を立てながら進むという構図で、袖には鉄かぶとや銃が配されています。

第3章は「戦争に翻弄(ほんろう)される人々の衣生活」。太平洋戦争に突入してからの日本人の服装は大きく変わっていきます。戦争による資源不足で、武器の材料となる鉄や銅などの金属類を国民は供出させられるようになります。日常生活で使っているアイロンまでも供出させられ、苦肉の策として登場したのが、陶製のアイロンでした。

衣服が語る戦争
陶製アイロン 日本 1937-1945年

様々な資源を輸入に頼ってきた日本は衣服を作るための材料も不足し、生活が不便なものになっていきます。1940年にはぜいたく品の製造や販売が禁止され、衣服の合理化のために男性には国民服が制定されました。

衣服が語る戦争
国民服 甲号 日本 1940-1945年

太平洋戦争中の1942年には、衣料品は配給制に。服を作るための布は自由には手に入らなくなり、古くなった服を仕立て直すなどするようになりました。女性たちの服にも標準服が導入されました。

衣服が語る戦争
婦人標準服 日本 1943年

展覧会の解説にありましたが、物資不足を精神論で補うべく、「被服報国」「軍民同装」といったスローガンも相次いで登場。節約や供出が強く推奨され、衣服のもつ社会的意味が強まっていきました。

衣服が語る戦争
ドレス フランス・ディオール 1948年頃

終戦後、これまでの価値観が崩れ、物不足も続く中、洋服の時代が本格的に到来します。欧米から豊かな服飾文化の情報が入ってくるようになり、特に女性は自分たちで自身や家族の服を縫いながら、そこに夢や希望を抱いていく様子が、服からも見てとれます。

衣服が語る戦争
PEACEと鳩の柄のドレス イタリア・モスキーノ 1997年

時代の渦に巻き込まれ、その時には気がつかない、あるいは抵抗できないことはたくさんあります。しかし、その時にはわからなかったこと、感じなかったことも、歴史を振り返ると気がつくことはたくさんあります。博物館で、実際に展示されている品々が発する情報やメッセージの量は膨大であり、それらを見ることは、同じことを繰り返さないためにも重要です。

今も世界各地で戦争や紛争が絶えません。好きな服を、自由に着る。ファッションを楽しむことができるのは、自由で平和な社会であることが前提なのです。

(宮智 泉 マリ・クレールデジタル編集長)

注目の女性作家の作品が【アーティゾン美術館】に集結。豊かな表現力に魅了されるアボリジナル・アートの「いま」
1000点を超える歴史的アイテムが大阪に。ルイ・ヴィトン「ビジョナリー・ジャーニー」展

戦後80年企画衣服が語る戦争
https://museum.bunka.ac.jp/

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