俳優ダイアン・キートンが79歳で死去 『アニー・ホール』でアカデミー賞受賞ほか功績や人柄を振り返る
Amy Sussman / Getty Images
映画『ゴッドファーザー』や『アニー・ホール』などで知られる米俳優ダイアン・キートンが2025年10月11日(現地時間、以下同じ)、79歳で亡くなった。独自の現代女性像を体現し、長年、ハリウッドの第一線で活躍した名優かつファッションアイコン、生涯独身を貫いた“恋多き女性”としても知られる彼女の生きざまや人柄、その功績を振り返る。マリ・クレール インターナショナルのオーストラリア版デジタル記事よりお届け。
ダイアン・キートンとの別れ 俳優、アイコン、そしてクールを再定義した女性
ハリウッドで最も予測不能な主演俳優。
ダイアン・キートンのように機知とぬくもり、そして鋭く洗練された独創性を体現した女性はほとんどいない。ユーモアと心の温かさを独自に融合させ、スクリーン上で現代の女性像を定義づけたこのアカデミー賞俳優が、米カリフォルニア州で79歳の生涯を閉じた。遺族は10月11日(土)、米誌『People』にこの事実を認め、「最愛の母、友人、そして芸術家」を悼む際、プライバシーを尊重してほしいと求めた。
死因など詳細は現時点で明らかにされていない(その後、遺族は『People』への声明で死因は肺炎だったことを公表した)。
ルールを書き換えたキャリア
ダイアンの成功は、彼女が演じたキャラクター同様に型破りだった。初期の舞台経験を経て、映画『ゴッドファーザー』(1972年)とその続編『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974年)でケイ・アダムス役を演じ、男性優位の社会で優しさと静かな強さを兼ね備えた演技で国際的な名声を得た。しかし、映画史において彼女の地位を確固たるものにしたのは、ウディ・アレンとの共演、特に映画『アニー・ホール』(1977年)だ。
彼女はボウラーハット(山高帽)とベストを身につけ、セクシーさや小柄さを演出しようとしない女性像を表現した。ただありのままの自分だった。愛すべき神経質なアニーを演じてアカデミー主演女優賞を受賞し、ヒロイン像のルールを書き換えた。ユーモアがあり、欠点があり、そして決して忘れられない女性として。
映画『花嫁のパパ』(1991年)や『ファースト・ワイフ・クラブ』(1996年)から『恋愛適齢期』(2003年)に至るまで、ダイアンの作品は決して女性を見下すことのない、知的な大人のコメディの代名詞となった。カオスと愛嬌(あいきょう)を気負いなく両立させる彼女の能力は、数少ない俳優にしか持ち得ない、世代を超えて愛される魅力を生み出した。
偶然のスタイルアイコン
2003年に『恋愛適齢期』が公開されたとき、観客の話題をさらったのはダイアンの演技だけではなかった。彼女のスクリーン上の衣装、さわやかな白のタートルネック、リネンのパンツ、そしてクリーンなコースタル・ミニマリズム(海辺の雰囲気を感じるシンプルで洗練されたスタイル)が、後に「コースタル・グランマ(海沿いで優雅に暮らす上品なリラックススタイル)」として知られるようになるトレンドを静かに生み出したのだ。
2023年、彼女は(スタイルアイコンであることについて)ファッション誌のインタビューでこう語った。「光栄です! なぜ私なのかしら? 本当に恵まれてきました。服は大好きだし、それを眺めるのも大好きです」。彼女はファッション誌のページを切り抜き、ディオールのルックを研究し、帽子やインテリアを鑑賞するなど、生涯にわたって、スタイルの参考資料を収集してきたことを明かした。「私はマニアよ」と自虐的に、彼女らしくおちゃめに語った。
彼女のスタイルは流行を追うものではなく、むしろトレンドを塗り替えるものだった。オーバーサイズのジャケット。ネクタイ。パリッとした白いシャツ。ハット。常にハットだ。
「彼女は映画を観に行くときも、まるでこれから『アニー・ホール』の続きのシーンでも撮影するかのようにおしゃれしていました」と、ダイアンの親友の一人である作詞家キャロル・ベイヤー・セイガーは回想する。「彼女はハットにジャケット、バギーパンツ、ベルトを身につけていた。彼女は自ら作り上げたファッションアイコンだったのです」
自らの意思で歩んだ人生
ダイアンは結婚しなかったことで有名だが、彼女の恋愛遍歴はアル・パチーノ、ウォーレン・ベイティ、ウディ・アレンと、ハリウッドの著名人名鑑のようだった。しかし、彼女は交際する男性によって定義づけられるような人ではなかった。2019年の『People』のインタビューでこう振り返っている。「結婚は私にとって良い考えではなかったと思う。結婚しなかったことを心から喜んでいるんです。私は結婚する運命ではなかったと思います」
かわりに彼女は自らの意思で家族を持つことを選んだ。1996年に娘デクスターを、2001年に息子デュークを養子に迎えた。「母親になったことで私は完全に変わった」と彼女は語ったことがある。「もっと勇敢になれたの」
友人たちは彼女を、非常に独立心が強く、驚くほどクリエイティブで、無防備なほど誠実な、努力せずともその場を明るく照らすような女性だったと評した。「最期までユーモアを忘れない人だった」と、ある長年の友人は『People』に語った。「彼女はまさに自分が望む通りに生きていた。心から愛する人々と物に囲まれて」
ハリウッドからの追悼
ダイアンの訃報(ふほう)を受け、映画業界全体から哀悼の声が相次いでいる。ハロー・サンシャイン(リース・ウィザースプーンらが創設したメディア会社)主催のイベント「シャイン・アウェイ」で、15歳のとき、ダイアンによって映画『ワイルドフラワー』(1991年)に起用された俳優リース・ウィザースプーンが、自身の最初の師匠をしのんで感極まった。
「彼女はわざわざ私を呼び止めて、『背筋を伸ばして、いい? 俳優になるなら姿勢が大事よ』と教えてくれたんです」とリースは涙ながらに微笑んで振り返った。「彼女は本当に素晴らしくて、唯一無二の存在だった。彼女のような人は他にいませんでした」
ダイアンの長年にわたる「映画仲間」の一人で、親友でもあった歌手で俳優のベット・ミドラー(『ファースト・ワイフ・クラブ』で共演)は、彼女を「最高に面白くて、完全に独創的で、まったく偽りのない人。見たままが彼女そのものだった」と述べた。
晩年
晩年になっても、ダイアンの創造性は衰えることがなかった。2024年には、先述のキャロル・ベイヤー・セイガーとシンガー・ソングライターのジョナス・ミリンとの共作による初のソロシングル『First Christmas(原題)』を発表した。「彼女はこの曲のレコーディングを本当に楽しんでいました」とキャロルは語っている。「まるで子どものように歌っては笑い、そして泣いていた。彼女は本当に自分に正直な人でした」
キャロルは、ダイアンが亡くなるわずか数週間前に彼女を訪ねたときのことを思い返した。驚くほど弱々しい姿だったが、不屈の精神に心を打たれたという。「彼女はまだ目にするものすべてを写真に収めていました」とキャロルは語った。「創作活動を決してやめませんでした」
その飽くなき好奇心、美しさや意味、世界を見る新たな方法への渇望こそが、ダイアンの人生を定義していた。彼女はかつて「毎日新しいアイデアを持って目覚めること」が最大の喜びだと語っていた。
彼女の遺産
50年にわたり、ダイアン・キートンは単なる映画スター以上の存在だった。スクリーン上でもプライベートでも、女性は複雑で、風変わりで、力強く、ユーモアにあふれ、そして自分らしさを貫き通せることを証明したのだ。
リース・ウィザースプーンはダイアンに敬意を表し、ファンに“キートン流のスタイル”で彼女を称えるようにと呼びかけた。「彼女の映画を観て、すごくクールな服を着て。モノトーンで、ハットもいいかも。かっこいい写真を撮って、自分の夢をかなえるために生きてください。ユニークで、面白い自分自身であり続けて。ダイアンもきっと喜ぶと思います」
彼女がいなくなった世界は少し輝きを失ったように感じる。しかし、その功績は間違いなく、彼女の笑い声のように、人々の心に生き続けるだろう。
translation & adaptation: Akiko Eguchi
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