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永遠のファッション・アイコン ジェーン・バーキンさん死去

Express / Getty Images

女優で歌手のジェーン・バーキンさんが16日、パリの自宅で亡くなった。76歳だった。

 イギリス出身。モデルとして活動していた1965年、映画に初出演し、注目された。その後、フランスに移住し、作曲家で歌手のセルジュ・ゲンズブールさんと出会い、公私ともにパートナーに。2人がデュエットした69年の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は大ヒットした。

 歳を重ねても自然でさりげないスタイルは、永遠のファッション・アイコンとして多くの人に注目され続けた。

 ジェーン・バーキンさんと交流があったマリ・クレール編集長の田居克人が、彼女の飾らない素顔をつづった。

ジェーン・バーキン
ジェーン・バーキンと田居編集長(2017年、パリで)

闘病生活を続けていたジェーン・バーキンが亡くなってしまった。76歳。まだまだ若いのになぜ、というのが、最初に思ったことだった。

1960年代にデビューしてから、女優、歌手として第一線で活躍し続け、そのたぐいまれなセンスでファッション・アイコンとしても常に時代をリードしていた。男物の大きめの白いシャツにジーンズ。そしてコンバースのスニーカーを合わせるなど、着こなしはさりげないが超一流だった。言わずと知れたことだが、フランスの「エルメス」のレジェンドとなったバッグ「バーキン」は、彼女とエルメスの5代目、ジャン・ルイ・デュマとの出会いから生まれたバッグだ。

彼女についての思い出は、いくつもある。

2015年頃、パリの「カフェ・ド・フロール」で、彼女のトレードマークでもある「白いシャツ」について原稿を依頼した時、気軽に「OK」してくれた。

長女でカメラマンのケイト・バリーを東京に招き、撮影をお願いしたことがあるのだが、その彼女が亡くなってしまった。驚きとともにお悔やみのメールを送ったら、すぐにお礼のメールが届いた。最愛の娘を失って辛い気持ちでいっぱいのはずなのに、母、ジェーン・バーキンは、気遣いの人でもあった。

パリで自宅に招かれ、彼女が手料理をふるまってくれたことがある。肉を焼いてくれたのだが、そのときに彼女は「私が日本に行ったら、あなたの自宅に招待してね」と、いたずらっぽく笑った。

東日本大震災の被災者のためのコンサートや募金活動など、親日家ぶりは知られているが、そんな彼女を表現する彼女自身の言葉、それは「Never forget your love(愛を忘れないことよ)」だった。思い出のどれもが、この言葉につながっていく気がする。気さくで優しく、飾らない性格で、多くの人に愛された人だった。

また一つのパリが終わった。

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