食といのちを考える、大阪・関西万博のEARTH MARTへ【三澤彩奈のワインのある暮らし】
2025.4.29
山梨県の中央葡萄酒の醸造責任者として、豊かな自然の中で日々ブドウの栽培と醸造に向き合い、「甲州」の名を世界に広める三澤彩奈さん。今回は、大阪・関西万博のEARTH MARTで考えた食といのちについてつづります。
2025.4.29
山梨県の中央葡萄酒の醸造責任者として、豊かな自然の中で日々ブドウの栽培と醸造に向き合い、「甲州」の名を世界に広める三澤彩奈さん。今回は、大阪・関西万博のEARTH MARTで考えた食といのちについてつづります。
ブドウ畑にも春がやってきました。ブドウ樹の萌芽(ほうが)が始まり、ソメイヨシノより少し遅れて山桜も咲きこぼれます。鳥や山の動物たちも頻繁にワイナリーを訪れるようになり、生命の循環と生きる力を感じる季節です。
さて、4月13日に開幕した2025大阪・関西万博に行ってきました。飲食業界に携わる一人として、ぜひ多くの方にご覧いただきたいと思い、今回の連載ではシグネチャーパビリオンの一つ「EARTH MART」をご紹介します。
EARTH MARTは、「食を通じて、いのちを考える」をテーマに、テーマ事業プロデューサーの小山薫堂さんが、多様な食の担い手と共につくりあげたパビリオンです。小山薫堂さんは、「私たちのパビリオンでは、地球環境や飢餓問題と向き合いながら日本人が育んできた食文化の可能性とテクノロジーによる食の進化を共有し、より良き未来へと導く « 新しい食べ方 »を来場者と共に考えます。食を通じて様々な当たり前をリセットすることでいのちにとって本当に大切なものに気づき、感謝や優しさが生まれ、それがみなさんのほのかな幸せにつながる。そして今夜から、食事の時間を昨日よりも少しだけ大切にしたくなる、そんな後味を残せればと思います。」と話します。
私は東ゲートから入場したのですが、大屋根リングをくぐり、中心へ向かっていくと、かつての里山の暮らしを連想させる茅葺(かやぶ)きのパビリオンが目に入ります。EARTH MARTです。建築デザインは、隈研吾さんが監修され、全国の5産地から集められた茅は、万博会期終了後にアップサイクルが予定されているそうです。

EARTH MARTに入ると、まずオープニングムービーが上映されます。鑑賞後、スーパーマーケットに見立てられたパビリオンを進みます。店内は、「いのちのフロア」と「未来のフロア」にゾーンが分けられ、二つのゾーンに、20ほどの展示が用意されています。読んでくださる方の初対面での感動も尊重しながら、知っていたら、より楽しめると思われる内容をいくつか書かせていただきたいと思います。
「いのちのフロア」で私の心を最も捉えたのは、「家畜といういのち」の展示です。家畜写真家のタキミアカリさんが、牧場に泊まり込み、2024年に撮影された写真が映し出され、家畜たちの生きるまなざしが今も心に焼き付いています。

そして、ひと際目を引くのが、卵の展示「一生分のたまご」と、ねぶたで作られた大きなカート「いのちのカート」です。ひとりの日本人が一生で消費するとされる卵の量、そして、10年分の食料の体積がショッピングカートとして表現されています。

「いのちのはかり」のコーナーには、普段の生活となじみの深い食品の数々が登場します。例えば、ハチミツ。私は、ワイン造りの作業で疲れがたまったときには、必ずと言っていいほど、ハチミツを食べます。ミツバチが一生をかけて集めるハチミツの量がどのくらいなのか…実際に量ってみるとはっとさせられることと思います。

未来のフロアに入ると、私も尊敬するすし職人のレジェンドが登場し、お店では握っていない養殖の魚を握る姿が映し出されます。私たちは海のものをただ食べつくしてしまうのではなく、海の価値を知らなければならないと思わせてくれるシーンです。

また、未来のフロアには、日本の食を担う8名で構成された検討委員会の思いが込められた25の日本の伝統食材が「EARTH FOODS25」として掲げられています。海に囲まれた日本では、水が山から多くの栄養を運び、海を豊かに育て、菜食・発酵・健康が結びついた食の自然観が根付いています。日本の食文化を紡いでいくことは、未来の食のヒントともなりえるのだと思います。日本で親しまれる食材を世界と共有するため、5名の料理人による、既存のジャンルやスタイルを飛び越えて考えたコンセプト料理も展示されています。

どの展示も意味があり、それぞれ込められたメッセージを感じながら、私はワイン造りのことを思い出していました。ワイン造りをしていると、自然や、発酵を掌(つかさど)る微生物たちから学ぶことがたくさんあります。例えば、もろみの中で発酵する酵母は、一つの株とは限りません。酵母が乳酸菌のような他の微生物と共生している場合もあります。お互いに必要な栄養だけを取り、争うことはしない慎ましい世界が存在しているかのようです。
世界中がコロナ禍と未曽有の困難に立ち向かっていたときのことです。身近な医療関係者が病院の駐車場で訪れた患者たちを介護している姿を見て、「私は平穏にワインを造っていて良いのだろうか」と思い悩むようになりました。ほどなくして、飲食店からワインやアルコールの姿が消えていき、ワインを卸しているお客様のお店も一つ、また一つと休業を余儀なくされていきました。
ワインを造る意義を自分自身に問う中で出会ったのが、中村桂子さん著の『科学者が人間であること』という一冊の本でした。「人間は生きものであり、自然の中にある」と説くこの本を読み、「もし、このままワインの消費が戻らなかったら、その時はもがくことをせず、ブドウ畑を森に返そう」と心が決まったことを思い出します。
そして、パンデミックを乗り越えた今、ワイン業界は、かつてないほどの環境問題に直面しています。EARTH MARTでは、「いのちをつむぐ・・・それは生きるということ。生きるとは、食べるということ。」とうたわれています。私たちは、いのちをいただきながら今日を生き、私は、自然からたくさんのものを借りながらワインを造っています。私は、現代のワイン造りにおいては、テクノロジーに頼りきるのではなく、風土への畏敬こそが大切だと思っています。ブドウ畑が自然からの借り物であることを心に留め、これからも自然と向かい合い、私自身ができることとして、本当に美味しいワインを育んでいきたいと改めて思うのです。
フランスに住んでいた際、食事前には “Bon appétit”(召し上がれ) という言葉が飛び交い、南米で修業をしていたときも、食卓では “Buen provecho” という同義の言葉をかけ合いました。同じ食事前のシチュエーションで放つ言葉であっても、日本語の「いただきます」とは、意味が異なります。EARTH MARTを出た後は、「いただきます」という言葉の重みと味わい深さが、心にしみることと思います。ぜひ、足を運んでみてください。

三澤彩奈(みさわ・あやな)
中央葡萄酒株式会社 栽培醸造責任者 山梨県の中央葡萄酒4代目オーナーの長女として生まれる。ボルドー大学ワイン醸造学部を卒業し「フランス栽培醸造上級技術者」の資格を取得。2007年に中央葡萄酒の醸造責任者に就任。栽培と醸造に取り組む。 2014年に世界的ワインコンクール「デキャンター・ワールドワイン・アワード」の金賞を日本で初めて受賞。甲州ワインの名を世界に。「グレイスワイン」は海外で最も飲まれる日本ワインに成長。2021年11月、「甲州」の新たな魅力を引き出した「三澤甲州2020」を発売。
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