戦後の長崎を描いたカズオ・イシグロ『遠い山なみの光』が広瀬すず主演で映画化。石川慶監督が語る制作秘話
2025.9.2
2025.9.2
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──俳優の方々からは、それこそ小津安二郎作品のような古き良き時代の趣が感じられますね。
三浦友和さんからは、最初にお話ししに行った時に「笠智衆をやって、ということじゃないよね」と言われたくらいで(笑)。二階堂ふみさんは、喋(しゃべ)り方を含めて、古き良き時代の素晴らしい女優さんたちの空気を持ち込んでくれたと思います。広瀬すずさんはたぶん、そういったことは全く意識されていなかったと思うんです。それがかえって新鮮でした。喋り方やヘアスタイル、衣装は、僕たちが普段見ている広瀬すずとは全然違うけれど、確かに広瀬すずなんです。驚異的だなと思って見ていました。広瀬さん、二階堂さんの違いが、音色が異なる楽器の二重奏のように響いて面白かったですね。予定調和にならないんです。編集しながら音楽を聴いているような感覚がありました。




──原作は翻訳なので標準語ですが、映画では長崎弁です。吉田羊さん演じる悦子はブリティッシュイングリッシュで、さまざまな話し言葉が行き交う作品でもあります。
今回の作品は、いろんな音が混ざり合っていました。長崎弁、英語というのもありますが、三浦さんの話し言葉は戦前の男性像を体現しています。松下洸平さんはミュージシャンでもあるので、またちょっと違うリズム感がある。吉田羊さんのブリティッシュイングリッシュは悦子が大人になってから習得したものなので、イギリスで育ったニキ(カミラ・アイコ)のそれとはまた違う。それから子役(鈴木碧桜)の言葉もあります。そういった異なる話し言葉が渾然(こんぜん)一体となって、一つの世界観を作るというある種の実験でした。脚本からは想像がつかなかった音の世界が広がりましたね。
──悦子という女性は、長崎で戦争を経験した後、結婚、出産を経て、娘とともに渡英します。50年代から80年代にかけて、悦子が歩んだ30年をどう見つめましたか。
この30年をどう見るか、30年後の悦子を演じる吉田羊さんともたくさん話をしました。それで、吉田さんと一緒に、戦後ロンドンに渡った女性たちとお会いしたんです。すごく苦労されたお話を伺うことになるかと思いきや、皆さんパワフルでポジティブ。お話を伺ったことで、それまで抱いていた印象が変わりましたね。ある方は当時、何か月もかけてシベリア鉄道に乗ってロンドンに来て、地下鉄から街へと上がった瞬間に「ああ、清々した!」と大きい声で言ったらしいんです。あの頃、日本で女性として生きていくのは大変で、その後は本当に楽しく過ごしてきたと。ああ、この方は日本を飛び出して正解だったんだなと思いました。
吉田羊さんは、ブリティッシュイングリッシュも習得されましたが、それ以上に何も話していない、動いていない時の説得力がある。悦子の30年が凝縮されていて、これが吉田羊という俳優の神髄なんだなと思いました。


──実際に女性たちとお会いすることによって、作品の人物像に広がりが生まれそうです。
これまでフィクションなどで、戦後の女性たちは悲惨な状態をずっと我慢して……というイメージもありましたが、そういう人物像がすべてではないし、作られたものなんじゃないかと感じることもあります。今回お会いした方々や自分の祖母も、そういうタイプじゃない。悦子(広瀬すず/吉田羊)や佐知子(二階堂ふみ)の人物造形においても、先入観に縛られずに作れるといいのかなと思いました。
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