資生堂が新橋演舞場に緞帳を寄贈 「舞」に込めたアートディレクターの思い
2025.7.1
開場100年の節目を記念し、新橋演舞場の舞台に、資生堂の寄贈により32年ぶりに新たな緞帳(どんちょう)が掲げられた。デザインを手がけたのは、資生堂クリエイティブのアートディレクター・佐野りりこさん。現代技術と伝統が融合したこの緞帳は、どのようにして生まれたのか。佐野さんに話を伺った。
2025.7.1
開場100年の節目を記念し、新橋演舞場の舞台に、資生堂の寄贈により32年ぶりに新たな緞帳(どんちょう)が掲げられた。デザインを手がけたのは、資生堂クリエイティブのアートディレクター・佐野りりこさん。現代技術と伝統が融合したこの緞帳は、どのようにして生まれたのか。佐野さんに話を伺った。
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銀座のほど近くに位置し、格式ある劇場として知られる新橋演舞場では、新橋花柳界の芸者による舞踊の公演「東(あずま)をどり」をはじめ、歌舞伎、ミュージカル、新派、松竹新喜劇など、多彩な演目が上演されてきた。
資生堂と新橋芸者のゆかりは明治時代に遡る。1902年(明治35年)、後の資生堂パーラーとなる資生堂薬局内に日本で初めてのソーダファウンテンを設け、ソーダ水や当時まだ珍しかったアイスクリームを製造販売したという。当時の顧客の中心は新橋の芸者衆で、三味線のお稽古の行き来の合間にソーダ水でひと息つく芸者衆のために三味線置き場を作ったエピソードも残っている。
資生堂はこれまで、新橋演舞場の建て替えが行われた1982年に緞帳を寄贈し、そして1993年にも緞帳「光彩」を寄贈してきた。
そして今回、32年ぶりとなる新たな緞帳を手がけたのは、資生堂クリエイティブのアートディレクター・佐野りりこさん。その思いを、彼女はこう語る。

「入社前から、資生堂のクリエイターが緞帳の制作を手がけていると知っていて憧れがあったので、社内コンペで選ばれたときは本当にうれしかったです。緞帳が演者さんやお客さんにとってどんな存在になり得るかを考えながら、デザインに向き合いました」
社内コンペには13人が参加し、提出された案は16点に及んだという。選ばれたのは、伝統的な「舞」をテーマに、赤いラインでその動きを抽象的に表現したデザインだった。佐野さんはここからモーションキャプチャを使って、さらに深化させていく。
モーションキャプチャとは、人の体の動きをセンサーなどで計測・記録し、デジタルデータとして可視化する技術。映画やゲーム制作にも使われるこの手法を応用した。
「最初は、自分のなかで思い描いた空想の舞の軌跡をデザインにしていたんです。でも二次選考のときに、『実際の動きを可視化してみたら?』という提案があって。おもしろそうだと思い、取り入れることにしました」
制作にあたっては、社内のクリエイティブチームやディレクター陣からのフィードバックが重ねられ、企画は徐々に磨かれていく。そして、「舞」の動きをよりリアルに表現するため、オリジナルの踊りをつくり、その動きをもとにデザインを組み立てていくというアプローチへ進んだ。
振り付けは日本舞踊家の尾上流四代家元・尾上菊之丞氏が担当し、舞を披露したのは歌舞伎俳優の中村隼人氏。中村氏の体にセンサーを取り付けて動きを記録し、軌跡を線として抽出。その中から印象的なラインを選び出した。
「ただ奇麗な線を並べるだけではデザインとして弱くなってしまう。クルッと回転する動きや上昇する軌跡など、高揚感のあるものにしたくて。手や足、頭など、部位によって線のニュアンスも異なるので、自分の中にある曲線のイメージと乖離(かいり)しすぎないように、かつ観客の目を引きつける線を意識して選びました」

織りを担ったのは、1843年創業の京都の老舗ファブリックメーカー・川島織物セルコン。舞台緞帳の制作でも定評のある同社が、朱を基調としたグラデーションを表現するために、色相、彩度、明度の異なる何十種類もの糸を用い、光沢や風合いの違いを確かめながら緻密(ちみつ)に設計を行った。
「資生堂のコーポレートカラーを意識しながらも、少しずらした赤にしたいと思っていたんです。明るくてインパクトのある赤をイメージしていたのですが、オレンジ寄りになったり彩度が強すぎたりと、調整には苦労しました。川島織物さんに何度も糸の色出しをしてもらいました」
ラメ糸の入り方やグラデーションの流れ、織りの重なりなど、すべての要素が「舞」の動きを立体的に見せる仕掛けになっている。

「圧倒感のある緞帳にしたかったんです。朱色のダイナミックなラインが、舞台の空気を変えるような存在になればと考えていました。光沢感や立体感にもこだわりました」
デザインの構想から完成まで、約1年半。紙やデジタルでは得られない新たな経験に、佐野さんは新鮮な発見と手応えを感じたという。
「普段は広告のグラフィックが多いので、糸の色や素材の重なりまで細かく考えるのは初めてでした。ちゃんと伝わるか不安もありましたが、川島織物さんの技術が本当に素晴らしくて、完成品を見たときには圧倒されました。自分のデザインというより、川島織物さんの手で新たに生まれたものを見たような感覚です」
普段は広告のアートディレクションを担う佐野さん。印象に残っている仕事の一つに、資生堂のメイクアップブランド「マキアージュ」で、1人のモデルに7通りの表情を演出するという企画がある。「大変でしたが、メイクとビジュアルの力で印象が大きく変わることを実感できた経験でした」と振り返る。
こうした即時性を求められる広告の仕事とは対照的に、今回の緞帳制作は、「伝統に関わる、長く残るものをどう生み出すか」という視点での取り組み。これは、かつて彼女が携わった『資生堂150年史』の本の制作と重なる部分も多かったという。
「広告って“最大瞬間風速”を狙うようなものが多いんです。でも150年史では、時代に埋もれず長く残すにはどうすればいいかを考えました。その経験が、緞帳づくりにもつながったと思います」

資生堂は、化粧品にとどまらず、文化や芸術への支援を通じて「美しさ」を追求し続けてきた。佐野さんにとっての美しさとは、見る人の感情に触れることでもあるという。
「『これが美しい』と決めつけるのではなくて、心地よさや面白さ、あるいはほんの少しの違和感でもいい。『美しいけれど……○○』という余白や揺らぎ、ギャップがあることが、表現の魅力になると思っています。『舞』の緞帳が、新橋演舞場の空気づくりに少しでも貢献できたら。それが観客の高揚感につながったなら、何よりうれしいです」
伝統と文化が交差する新橋演舞場の舞台で、見る人の心に華やかで奥行きのある余韻を残す――。資生堂が贈った新たな緞帳は、日本文化とともに、これからの舞台を彩っていく。
text: Tomoko Komiyama photo: Tomoko Hagimoto
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