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銀座に宝飾品店が軒を連ねるようになったわけ

伝説の「ティファニー ダイヤモンド」イエローダイヤモンドがセンターストーンとしてセットされたネックレス

マリ・クレール編集長、田居克人が月に1回、読者にお届けするメッセージ。 今回は、コロナ禍にあっても活況を呈しているという時計宝飾業界の話題です


いまや「時計通り」と呼ばれるまでに

オミクロン株の猛威で各個人の対応が迫られる昨今ですが、やはり経済活動の停滞がその中でも特に大きな問題となっています。

そのような状況の中でも、時計や宝飾の売り上げは好調と聞きます。特に高額商品の売れ行きがよいようです。そんな状況を反映してか、銀座・並木通りの一角は、いつの間にか世界中のラグジュアリーウォッチブランドが軒を連ね、まるで時計街のようです。

並木通りの両側には時計ブランドの出店が相次いでいる

以前は「サンモトヤマ」が最初にラグジュアリーブランドを扱う店舗を構え、その後「ルイ・ヴィトン」など欧米のラグジュアリーブランドが相次いで出店し、まさにパリのサントノーレ通りや、ミラノのモンテナポレオーネ通り、ロンドンのボンド・ストリートのような通りとして有名になりましたが、時計ブランドの店はほとんどありませんでした。

それが最近では通りの風景も少し変わってきました。「ロレックス」「ジャガー・ルクルト」「パネライ」「IWC」「オメガ」「A.ランゲ&ゾーネ」「タグ・ホイヤー」「ロジェ・デュブイ」など世界の有名大ブランドから、時計マニアでないとあまり名前になじみがない時計ブランドまで、並木通りに集結しているのです。いつの間にかこの通りは「時計通り」とまで呼ばれているそうです。

また有楽町から銀座に抜けるマロニエ通りから中央通りは、「カルティエ」「ブルガリ」「ハリー・ウィンストン」「ティファニー」「ショーメ」「ヴァン クリーフ&アーペル」といった世界の宝飾ブランドが連なり、以前から出店している「シャネル」も最近はハイジュエリーにも力を入れていて、まるでニューヨークのダイヤモンドストリートのようです。婚約指輪を求めに銀座を訪れるカップルにとっても、4丁目の「ミキモト」を見てから少し足を延ばせば、さらに有名宝飾ブランドの店が連なり、選択肢も増えたと言えそうです。

この3本の通りは、時計宝飾業界の好調ぶりを裏付けるかのように、コロナ禍の状況でも週末となると多くの人が行きかい、大変なにぎわいを見せています。

そんな中、1月24日、「ティファニー」丸の内店でクローズドなイベントが開かれました。

イエローの色調で統一された「ティファニー」丸の内店内

「ティファニー」は今年、日本上陸50周年を迎えるのですが、それを祝して、伝説的な128.54カラットの「ティファニー ダイヤモンド」を日本で特別に展示するというイベントでした。このダイヤモンドは地球上に現存する、最大にして最も希少なイエローダイヤモンドの一つとして有名で、現在は合計100カラットを超えるホワイトダイヤモンドがあしらわれたネックレスの、センターストーンとしてセットされています。

このダイヤモンドを身につけたことがあるのは今まで4人しかいません。保守主義の活動家だったメアリー・ホワイトハウスがロードアイランドでの舞踏会で着用、『ティファニーで朝食を』のプロモーション撮影のためにオードリー・ヘプバーンが、また2019年のアカデミー賞授賞式でレディー・ガガが着用して注目を集めました。そして今回の「ティファニー」の広告キャンペーンのためにビヨンセが着用しています。

「ティファニー ダイヤモンド」は1877年に南アフリカのキンバリー鉱山で発見され、ティファニーの創業者であるチャールズ・ルイス・ティファニーが買い取った後、大きさよりも輝きを重視して、通常のブリリアントカットダイヤモンドの58面よりも24面も多い82面にカットされました。「ティファニー」にとっても一世紀以上、このダイヤモンドが美のインスピレーションの源であり、クオリティとクラフツマンシップの象徴でもあり、その輝きは、言葉で表現するのは不可能なほどです。

丸の内の店内はこのダイヤモンドにインスパイアされ、什器や花、ソファ、床などもイエローに模様替えされ、有名なティファニーブルーの紙袋もイエローに統一されていました。このダイヤモンドがいかに「ティファニー」にとって重要でシンボリックな存在であるかの証しと言えるでしょう。

アメリカからは専用のケースに保管され、このダイヤモンドを専門に取り扱う警備員2人に守られて日本に運び込まれた「ティファニー ダイヤモンド」。日本の人たちにどんな魔法の光を浴びせるのでしょうか。

2022年2月24日

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