輪島市の早期の復興を待ち望む
2024.2.29
マリ・クレール編集長、田居克人が月に1回、読者にお届けするメッセージ。1月に起きた能登半島地震で壊滅的な被害を受けた輪島市。日本を代表する漆芸の中心地の復興は日本の文化を守ること。
2024.2.29
マリ・クレール編集長、田居克人が月に1回、読者にお届けするメッセージ。1月に起きた能登半島地震で壊滅的な被害を受けた輪島市。日本を代表する漆芸の中心地の復興は日本の文化を守ること。
令和6年になったばかりの1月1日の夕方、能登半島地震が起きました。被害が大きい石川県輪島市では最大震度7を記録し、壊滅的な打撃を受けました。また地震直後に発生した火事のため、輪島市を代表する観光名所として有名な朝市通りも炎に包まれ、多くの民家や商店、旅館などが焼失しました。
私個人も、今は亡き両親が29年前、阪神・淡路大震災で被災した経験があり、他人事とは思えず、テレビを食い入るように見てしまう日が何日も続きました。
阪神・淡路大震災の時、両親とは連絡がつかず、安否も定かでなかったので、地震の翌々日早朝、新幹線で京都まで行き、そこからいろいろ乗り継ぎ西宮までたどり着くことができたのは深夜、午前0時を回ったころでした。
幸いなことに芦屋の避難所で両親を見つけることができ、ほとんどけがをしてないのを見て少し安心したことを覚えています。
さて大きな被害を受けた輪島市ですが、輪島といえば漆で世界的に有名です。日本での漆の歴史は約9000年前にさかのぼることができ、縄文時代の遺跡からも漆を塗った器が出土しています。その後飛鳥時代に大陸から漆工芸技術が伝えられ、日本の漆工芸技術は大きな発展をとげます。
室町時代には輪島塗の原型となる技術が用いられるようになり、伝統的技法が確立されたのは江戸時代に入ってから。輪島で採れる「地の粉」と呼ばれる珪藻土の粉を漆の樹液に混ぜて下地を強化する技術が生まれたのです。この技術によって輪島塗特有の丈夫な漆器が誕生し、またその後、上塗りされた漆器の表面に彫刻を施し、そのくぼみに金や銀の粉を入れ込んで接着させて描く技法「沈金」が生まれ、美しい装飾ができるようになったのです。
漆器といえば輪島塗とまで言われるようになりましたが、その評判は海外まで及び、ヨーロッパの人たちからも高い支持を得ました。
漆器のことを英語では「lacquerware」と呼びますが、ただシンプルに「japan」と呼ばれることも多いのです。それは16世紀、日本にやってきたポルトガル人やオランダ人は蒔絵や螺鈿を大変気に入り、母国に送ったり、交易で多くの漆器が輸出されたりしたためです。そのため原産国である日本の名前が漆器を指す言葉になったのだと考えられています。
2月1日付の読売新聞の文化面では「漆芸継承の拠点 無念の休講」という記事が掲載されていました。
「漆芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)の技術を継ぐ担い手を育てる石川県立輪島漆芸技術研修所(輪島市)は地震の影響で休講が続く。関係者は先行きを案じつつも、研修生の卒業制作再開に向けて動き出すなど、歩みを始めている」とあります。
さらに記事には「研修所には海外からの留学生も含め、漆芸の道を志す若者らが各地から集っている。人間国宝や日本工芸会正会員の作家らが教べんを執り、研修生は最高峰の技を学んできた。国内では香川県漆芸研究所(高松市)と並び、文化財保護法に基づく漆芸技術を継承する拠点となってきた。(研修所の)今春の再開は難しい見通しだ。小森所長は長引く休講が研修生に及ぼす影響を気にかける。『校舎を閉めている間に漆の道への志が折れないといい』」(一部抜粋)。ここで学ぶ人たちは漆芸の将来を背負う人材なのです。

今、国を挙げて日本発のラグジュアリーブランドを作るにはどうしたらいいかが議論されています。そういう意味では漆器、特に輪島塗は、その技術の高さや歴史などを考えると、日本発のラグジュアリーとなりうる条件を満たしています。しかし輪島塗をはじめ、輪島を拠点とする漆芸の復興への道のりは、長く険しいといえるでしょう。
今回の震災で多大な被害を受けた輪島市の復興は、そういった意味でも待ち望まれています。
2024年2月29日
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©︎marie claire
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