×

【what to do】国立代々木競技場はなぜ今も美しいのか? 二度目の五輪が開かれた東京で考える

国立近現代建築資料館は旧岩崎邸庭園に隣接。庭園から入ると、入園料(一般400円)がかかるが、湯島地方合同庁舎正門から入れば観覧無料。展示を解説した冊子ももらえる。10月10日まで。急いで!

知的好奇心あふれる『マリ・クレール』フォロワーのためのインヴィテーション、”what to do”。今回は建築について触れる。1964年の東京五輪に合わせて造られた国立代々木競技場が今なお、ダイナミックで美しいのはどうしてなのか? そして令和の今、国威を反映したアイコニックな建築を夢見ることは時代錯誤なのか? 国立近現代建築資料館(東京・湯島)で開催中の丹下健三展を参観しながら、ぼんやりと思いを巡らしてみた。

20世紀以降の実現しなかった建築を展観する

2年前、埼玉県立近代美術館でユニークな企画展を観た。「インポッシブル・アーキテクチャー -もうひとつの建築史-」。20世紀以降のアンビルトの建築を「インポッシブル・アーキテクチャ-」とし、図面や模型などを通して紹介する意欲的な内容。ウラジーミル・タトリンの第三インターナショナル記念塔、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのフリードリヒ通り駅の摩天楼、そして、そして藤本壮介のベトンハラ・ウォーターフロント施設など、さまざまな理由から実現しなかった建築ばかりだが、実はタイトルの「インポッシブル」に取り消し線が引かれているのがミソなのだ。展示の中に「ポッシブル(実現可能)」なプロジェクトも紛れ込んでいたからだ。

話題になった企画展はすでに終了したが、図録が平凡社から発行されていて展示を追体験することができる(撮影・高橋直彦)

ザハの競技場が東京に実現していたら……

その一つが、ザハ・ハディド・アーキテクツと設計JV(日建設計、梓設計、日本設計、オーヴ・アラップ・パートナーズ・ジャパン設計共同体)による新国立競技場。巨大なUFOが神宮の杜に飛来したかのような近未来的なデザインで、国際コンペで選ばれた。2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で安倍首相がそのユニークな意匠をアピールしたこともあって、20年の東京五輪誘致に成功。その光景を「お・も・て・な・し」のイントネーションと合わせて記憶している人も多いのではないか。ところが、その後、周囲の景観にそぐわないという意見やコスト増大への批判から、15年にザハ案は白紙に。この案について触れた埼玉近美の展示では、様々な模型やCG映像などに加え、自分の身長(173センチ)ほどもある分厚い設計図書類が展示され、文字通り「インポッシブル」なプロジェクトであることを強調していた。

ザハ・ハディドによる新国立競技場のイメージ・パース(CG画像提供はザハ・ハディド・アーキテクツ、レンタリング・メタノイア)

それが白紙撤回された時、数々の批判にもっともだと頷きながら、「残念!」とどこかで思う自分もいた。景観や建築については門外漢だが、ザハ案が東京にできていたら、どんなにワクワクしただろうと無責任に妄想したりもした。もっとも、実現していたら、今回の五輪が原則無観客開催になったこともあって、「壮大な無駄」と建物に対する批判はさらに高まっていたかもしれない。こんなことなら、元々あった競技場を改修して使うのが最も「今風」だったような気もしてくる。国威を発揚するような建築の実現は、経済が停滞し、内向しつつある現在の日本では「インポッシブル」だし、そもそも必要なくなってしまったのかもしれない。

ザハによる新国立競技場は4000枚以上の実施図面が作成された。埼玉近美に展示された様々な設計図書が「実現可能」なプロジェクトであったことを雄弁に物語る(写真提供・日建設計)

理屈を知らなくても力強さを感じる代々木競技場

国立代々木競技場|1964年頃|撮影・石元泰博、高知県立美術館Ⓒ高知県、石元泰博フォトセンター

それに比べて、丹下が1964年の東京五輪のためにデザインした国立代々木競技場は何と幸せな建物なのだろう。建築家の日埜直彦さんによると、構造形式と機能的必然性が巧みに統合されたデザインで、「理屈を知らずとも見るものに力強さを感じさせる」(『日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで』)。2021年8月には重要文化財に指定され、重文の中で完成年代が最も若い建造物となった。建築に関心のない人でも、山手線で原宿から渋谷に向かう途中、進行方向右手で銀色に鈍く光る吊り屋根の優美な曲線にハッとしたことのある人は多いのではないか。それが57年前の建物だとは!

建築資料館では、丹下が手帳に記した代々木競技場の構想メモも展示されている(撮影・高橋直彦)

意外? 東京初となる丹下回顧展

国立近現代建築資料館で10月10日まで開かれている「丹下健三 1938~1970 戦前からオリンピック・万博まで」展でも丹下の最高傑作として代々木競技場を紹介している。東京で開かれる丹下に関する初の回顧展だという。「戦争と平和」「近代と伝統」「戦後民主主義と庁舎建築」「大空間への挑戦」「高度経済成長と情報化社会への応答」の五つのフェーズに分け、それらのデザイン手法を統合した建築として代々木競技場の魅力を伝えている。敗戦の廃墟から復興し、高度経済成長を遂げた日本を世界に発信するシンボルとして代々木競技場は構想された。まず、天才がいて、国威を表象する意欲にあふれ、そして多くの人が同じ方向を向いていた。そうした条件が整って初めて実現可能となる公共建築だったのだろう。その意味で代々木競技場は幸福な建物なのだ。展示を見終わったら、是非実物を様々な場所から眺め、そのダイナミズムを体感してほしい。知識や理屈はいらない。『マリ・クレール』フォロワーなら、これまで培ってきた美意識を信じて現場に身を置くだけでいい。建築資料館最寄り駅の東京メトロ千代田線湯島駅から地下鉄で20分。明治神宮前駅で下車して地上に出ると、時代と建築家の天才が見事に折り合った奇跡の建築が目の前に広がっている。

丹下作品に焦点を当てた展示は数多く行われてきたが、今回の丹下展が東京で初の回顧展だと聞いて意外だった。MOMAからの回顧展の要請も丹下は断っていたという。大判の『丹下健三』(丹下健三・藤森照信著)は部数限定で、古書の価格が高騰していたため入手しづらかったが、2019年に2刷が出て定価で買うことができた(撮影・高橋直彦)

お問い合わせ先

文化庁国立近現代建築資料館(https://nama.bunka.go.jp/

Profile

高橋直彦

『マリ・クレール』副編集長。20代前半、ヨーロッパに留学していたとき、建築を見て歩く楽しさを知った。緊急事態宣言も解除されたことだし、皆生温泉(鳥取県米子市)にあるメタボリズムの名作、東光園(菊竹清訓設計)に泊まってみたいと夢見ているのだが、果たして……。

リンクを
コピーしました