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Netflix『皇妃エリザベート』で話題! 美しきオーストリア最後の皇妃、その悲劇的な生涯に迫る

Netflixシリーズ『皇妃エリザベート』シーズン1~2独占配信中

国際エミー賞を受賞するなど、海外で話題を呼んでいるNetflixシリーズ『皇妃エリザベート』。その美貌と悲劇的な生涯で有名な、オーストリア最後の皇妃エリザベートの生き様や結婚生活の“真実”に迫る、マリ・クレール インターナショナルのアメリカ版デジタル記事よりお届け。

『皇妃エリザベート』の真実:オーストリア皇妃エリザベートについて知っておくべきこと

Netflixのシリーズ同様、愛された王女の人生は悲劇的だった。

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Netflixの時代劇ドラマ『皇妃エリザベート』は、ヨーロッパで最も華やかなハプスブルグ家の一人であるオーストリア皇妃エリザベートについての品格あるTV番組である。2024年11月22日に第2シーズンがスタートしたこのドイツ語のドラマは、『ブリジャートン家』や『ザ・クラウン』のファンだけでなく、新たな王室の魅力を発見したい歴史ファンにとっても必見の番組だ。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のめまぐるしい求愛の後、厳格な宮廷生活と過酷な新しい役割に適応しようと奮闘する、反抗的な皇妃の人生を描いている。

2023年国際エミー賞連続ドラマ部門最優秀作品賞を受賞した(シーズン1)このシリーズを見たファンの中には、エリザベートの実生活がフィクションで描かれているほど、うわべで飾られた悲劇的なものだったのだろうかと思う人もいるだろう。以下では、番組で描かれているオーストリア皇妃エリザベートの生涯について、史実を取り上げてみよう。

エリザベート、またはシシィは、オーストリアの愛すべき皇妃だった

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エリザベート・フォン・ヴィッテルスバッハは、1837年12月24日にバイエルン王国のヴィッテルスバッハ家に生まれた。マクシミリアン・ヨーゼフ公爵(実生活でも番組と同じように風変わりな人物)とバイエルン王国の王女ルドヴィカの第3子として生まれた。家族からはシシィと呼ばれた彼女は、バイエルンの田舎で育ち、乗馬や森で遊ぶのが好きだった。

シシィ皇妃は最も有名なハプスブルク家の一人で、その特筆すべき美貌、皇妃としては反抗的といえる行動(喫煙、タトゥー、体操のような激しい運動、公務の回避)、そして彼女が直面した個人的な悲劇で有名だ。在位中、彼女は通常の王族よりも庶民とのつながりを持ち、ハンガリーを愛したことでも知られている。Netflixシリーズ『皇妃エリザベート』以前にも、彼女の人生は、映画『プリンセス・シシー』(1955年)3部作や映画『エリザベート1878』(2022年)など、いくつかの本や映画で描かれている。

エリザベートとフランツ・ヨーゼフ皇帝との出会いは『皇妃エリザベート』によく似ていた

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実生活では、エリザベートはいとこであるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と結婚したが、もともとはそうなるはずではない組み合わせだった。番組で見られるように、当初2人の母親は、フランツがエリザベートの姉ヘレーネと結婚することを計画していた。しかし、Brigitte Hamann(ブリギッテ・ハーマン)の伝記『The Reluctant Empress: A Biography of Empress Elisabeth of Austria』によれば、フランツは母親の居間でエリザベートを初めて見た後、すぐにエリザベートの虜になったという。森の中での初対面はフィクションだ。

その後、フランツは正式な手順を踏んでエリザベートに求婚した。自身の母親に、エリザベートの母親に結婚の許しを乞うことを話したのだ。伝えられるところによると、彼の関心を知ったエリザベートは、「私は皇帝を愛しています。彼が皇帝でなかったら」と言ったという。それでも2人は1854年4月25日、彼女が16歳、彼が23歳のときに結婚した。

エリザベートは義母である大公妃ゾフィーと険悪な関係にあった

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『皇妃エリザベート』に見られるように、エリザベートはハプスブルク家の宮廷での生活に惨めさを感じていた。彼女は公の場では群衆に圧倒され、プライベートでは厳しく監視されていた。ハーマンの伝記によれば、エリザベートは侍女たちが彼女に服を着せたり、靴を一回履いただけで手放したりすることを含め、宮廷のやり方のほとんどを嫌っていた。また、フランツとは性格が大きく異なっており、ほぼ常に彼とともに働いていたなかで、彼女はリベラルであったが、フランツは保守的であった。『ナショナル・ジオグラフィック』誌によれば、フランツは新婚旅行でさえ早々に切り上げて、公務に戻ったという。

エリザベートはまた、義理の母であるゾフィー大公妃とも争わなければならなかった。ゾフィーは恐るべき存在として知られており、フランツの王位継承を画策し、その治世の全期間にわたって彼に助言を与えたと伝えられている。エリザベートのスタッフ全員をゾフィーが選び、部下たちはエリザベートの行動のすべてをゾフィーに報告。エリザベートとフランツの関係のほとんどをコントロールした。2人の最初の子どもの世話でさえ、エリザベートではなく、ゾフィーは自身のスタッフにさせた。

しかし、ハーマンの伝記によれば、エリザベートはおそらく時が経つにつれて義母を理解するようになったという。彼女はある侍女に、ゾフィーは善意でやってくれたことだったが、「道のりは非常に困難で、やり方は厳しかった 」と語ったことがある。

エリザベートとフランツは4人の子どもをもうけた

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このロイヤルカップルはやがて4人の子どもを迎えるが、一家はしばしば悲劇に悩まされた。長女は祖母にちなんでゾフィーと名付けられたが、1857年、両親と生後10か月の妹ギーゼラとともにハンガリーへ旅行中、2歳で病死した。一部の歴史家は、番組で描かれていたように、子どもの死因は腸チフスだと推論しているが、死因は定かではない。

エリザベートは1858年8月に一人息子のルドルフを出産し、1868年には末娘マリー・ヴァレリーを出産した。義母ゾフィーが引き続き孫たちの世話を担当し、エリザベートは1862年に神経衰弱で倒れた後、ほとんどウィーンを離れて過ごしたとヒストリーチャンネルのサイトは伝えている。彼女はまた、生涯を通じて、精神病と摂食障害(過酷なダイエットをしていたともいわれる)に苦しんだ。40歳を過ぎると自身の肖像画を許可せず、30歳を過ぎると写真を撮ることも拒んだと伝えられている。

エリザベートを襲ったもうひとつの悲劇は、1889年、30歳だった息子ルドルフ皇太子が17歳の愛人マリー・フォン・ヴェッツェラ男爵夫人と一緒に狩猟小屋で死んでいるのが発見されたことだ。後に、2人は無理心中により亡くなったことが判明した。ルドルフの死はエリザベートを打ちのめしただけでなく、第1次世界大戦につながる衝撃を起こした。ルドルフ皇太子には後継者がいなかったため、皇位は叔父のカール・ルートヴィヒ大公に(1896年に死去)、そしてその長男フランツ・フェルディナント大公へと引き継がれた。(1914年、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されたサラエボ事件がきっかけで、第1次世界大戦の勃発につながった)

エリザベートとフランツは、複雑だが円満な結婚生活を送っていた

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『皇妃エリザベート』1,2シーズンは、エリザベートとフランツが非常に情熱的な愛を持っていたように描かれているが、実際のところ、彼らの44年間の結婚生活は、激しいというより冷めたものだった。オーストリアのサイト『The World of the Habsburgs』によれば、エリザベートはウィーンでの最初の数年間、内気で子どもっぽい態度をとっており、それは厳格な宮廷に適応するのに苦労していた時期と一致している。フランツは妻と母との不和をうまく処理できず、自分が幼い頃から従うように育てられた規範をエリザベートが守らないことを、しばしば理解できなかった。

一方、エリザベートが1859年から健康上の問題を抱えていたことはよく知られているが、歴史家たちは、宮廷を離れて療養していた時期が、彼女の変貌を促したようだと指摘している。彼女は義母のもとを離れて数年間、旅して暮らしたのだ。先述のサイトによると、エリザベートは1861年にウィーンに戻ると、より自信に満ち、フランツとの寝室を別々にするなど、要求が厳しくなった。1865年、息子のルドルフが、夫フランツが子どもの頃に経験したのと同じような厳しい教育を受けて苦労しているのを見て、エリザベートは断固とした態度で立ち向かった。フランツはルドルフを鍛える必要があると考えたが、エリザベートは、軍国主義的でない教育に切り替えなければ、別れると脅した。

2人の関係の全容を知ることは不可能だが、歴史家たちは、フランツはエリザベートが彼を愛していた以上に、エリザベートを愛していたようだと語っている。しかし、これはしばしば、フランツがエリザベートに長期間の別居を許し、たとえそれがスキャンダルを招くようなものであっても、彼女の要求を受け入れたからだと考えられている。フランツは最終的に結婚関係以外の愛人をもつようになったが、エリザベートは、1889年からフランツが亡くなるまで、彼の側近だった俳優カタリーナ・シュラットとの不倫を奨励さえしたようだ。フランツとエリザベートの結婚生活は、晩年にはより緊張したものになったが、大半は、互いに友好的で尊敬し合っていた。

エリザベートは1898年に暗殺された

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1898年9月、エリザベートは偽名でスイスのジュネーブを旅した。ヒストリーチャンネルのサイトによると、彼女がスイスにいるというニュースが流れた後、イタリアの無政府主義者ルイジ・ルケーニがレマン湖で船に乗ろうとしていたエリザベートに近づき、「小さな三角やすり」で刺したという。彼女は乗船後まもなく倒れ、その後内出血で亡くなった。60歳だった。

※(   )内編集部注

translation & adaptation: Akiko Eguchi

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