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<行定勲のシネマノート>第13回 『映画シナリオと小説の間に』

『きょうのできごと、十年後』著者:柴崎友香 出版社:河出文庫(河出書房新社) 価格:680円

【10月23日 marie claire style】私が映画化できなかった小説があった。芥川賞作家の柴崎友香さんに『きょうのできごと』の登場人物の10年後を撮ってみたいということで原作の続編を書いてもらった。もちろん映画にするために。『きょうのできごと、十年後』は柴崎さんによって、思っていたような未来を過ごせないでいる30代の登場人物たちの心情が交錯する一夜の話で、青春の終わりを描いた素晴らしいものだった。しかし、諸事情で映画は成立しなかった。文庫化される際、編集者から「紙上で映画化」ができないかという相談を受け、私は映画にできなかった罪滅ぼしに小説を書くことになったのだ。文章で映画制作を描くこと。メタフィクション的な要素のある小説。私は鴨川の河原で撮影している撮影隊のいる風景が浮かんだ。太陽が雲から顔を出すのを待っている天気待ちの間の些細な物語を書こうと思った。タイトルは『鴨川晴れ待ち』、原稿用紙20枚程度の超短編が私の初の小説となった。

 『世界の中心で、愛をさけぶ』『春の雪』『クローズド・ノート』『今度は愛妻家』など私のラブストーリーのほとんどのシナリオを書いてきた脚本家の伊藤ちひろも長い間、小説に取り組んでいた。10年の歳月をかけて書いた彼女のデビュー作『ひとりぼっちじゃない』が刊行された。ラブストーリーを手掛けてきた女性脚本家が書いた恋愛小説である。否が応でも男女のときめくような美しい恋愛物語を期待してしまうが、まったく予想を裏切られた。

 その小説はある中年男の日記という形式で描かれていた。歯科医師のススメは人間関係を築くことが苦手で自分の体臭が周りに不快感を与えているのではないかと気にしているような自意識過剰な男だ。これまで脚本で繊細な恋愛感情を紡いできた彼女が、主人公が中年オヤジのねじ曲がった恋情を描いたのは意外だった。脚本というのは基本的には登場人物の感情は書かず、人物の置かれた状況をト書きと台詞で表現するものだ。その脚本に書かれたキャラクターの心情は監督と俳優たちが作り上げるのだ。しかし、この小説には自分の殻を破れない男の苦悩や怒りや淋しさという複雑な感情が赤裸々に書かれているだけだ。他者には読まれないことを前提に書かれている日記は愚痴も悪口も自分の弱音もすべて露呈される。まさに感情の坩堝だ。それを読者は盗み読む。そこに書かれている一方的な感情を。映画には完全なる一人称はありえない。しかし、小説ではそれができる。この小説は完全にススメの視点から生み出された感情しか書かれないから、真実の状況が実際にはどうだったのかわからない。

 一人称の小説を映画化するとどうしても三人称になってしまう。だから、読者が想像したものとは懸け離れたものになりがちだ。脚本家である伊藤ちひろは安易に映画にならないものを小説『ひとりぼっちじゃない』で書こうと思ったのではないか。

 この小説を読み進めていくとススメと自分の似ている部分が重なり感情移入し、これは私のことだと思えてくる。太宰治の『人間失格』がそうであったように、最後にはススメのことが切なく愛おしくなっていった。改めて小説を映画にすることを考えるよいきっかけになった。そして、いつか私も本格的に小説に取り組んでみたいと思った。

■プロフィール
行定勲(Isao Yukisada)
1968年生まれ、熊本県出身。映画監督。2000年『ひまわり』が、第5回釡山国際映画祭・国際批評家連盟賞を受賞。01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし、一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』、『春の雪』、『クローズド・ノート』、『今度は愛妻家』、『パレード』(第60回ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』、『真夜中の五分前』、『ピンクとグレー』などを製作。17年は震災後の熊本で撮影を敢行した『うつくしいひと サバ?』、島本理生原作の『ナラタージュ』が公開された。最新映画は、岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』。

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(c)marie claire style/selection, text: Isao Yukisada

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