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<行定勲のシネマノート>第8回 熊本地震前とその後

(c)2016くまもと映画製作実行委員会 (c)2017 SSTF

【6月28日 marie claire style】2016年4月14日と16日に私の故郷熊本は大きな地震に襲われた。16日の本震の時に私は熊本にいたから他人事ではなかった。私はその前年の10月に熊本県とタッグを組んで、熊本の美しい情緒を他県やアジアの人々に伝えたいという想いから作られた『うつくしいひと』を完成させたばかりだった。

 出演者には政治学者の姜尚中、橋本愛、石田えり、高良健吾と熊本県出身の俳優たちが愛郷心を持って集った。シンプルなラブストーリーであり、探偵が出てくるような遊び心も忘れない娯楽映画で、この作品を観て熊本に行ってみたいなと思ってもらえるような映画になっていると自負していた。しかし、全国にこの映画を観てもらおうとしていた矢先に地震が起きてしまったのだ。

 映画でロケをした場所はことごとく傷を負った。シンボルである熊本城は天守閣の屋根瓦や石垣が崩れ落ち無残な姿になってしまった。熊本県民はかなり落ち込んだ。地震直後は水道も電気も復旧できない状態が続き、当たり前の日常がどんなに大切だったかを知った。

 熊本愛の強い高良健吾は地震後すぐに熊本入りし、私と共に給水活動をした。ある避難所で、完成披露試写会で『うつくしいひと』を観たというお婆さんに声をかけられた。「熊本城は私が生きとる間には復活せんでしょう。傷ついた熊本城ば見とると思い出もなんも思い出せんばってん、監督さんの作った映画ば観たら子供ん時からの熊本城ば思い出せると思うけん、また観たかです」とおっしゃったのだ。映画は風景を記録し、観る者の記憶を思い出させる。映画には消滅していく事象を救済する力があるのだということを改めて思い知らされた。その後、ありがたいことに『うつくしいひと』は熊本のチャリティー上映で全国200ヵ所で上映された。そして、熊本でも連日長蛇の列を作るほどの人たちが観てくださった。年老いた映画監督が帰郷し想いを残した熊本の地を辿る物語に、観客は自分を重ねながら、在りし日の熊本の風景を目にして涙を禁じえないようだった。

 復興の途上、私は阿蘇大橋を訪れることがあった。橋が落ちた崖の淵に立った私は、土砂崩れし地形の変わった風景に言葉も出なかった。その時、今のこの風景を記録しておかなければいけないと思った。姜尚中さんが言っていた、「明治22年に熊本に大地震があった。地震の後、夏目漱石は熊本に移り住んだのだが、小説で地震については触れていなかった。もし、触れられていたとしたら熊本に大きな地震は来ないなんて誰も言わなかっただろう。文化がその爪痕をちゃんと残さないと何も伝わっていかない」と。

 そして、私は熊本地震の半年後に『うつくしいひとサバ?』という続編を撮った。フランスから亡き妻の遺骨を持って熊本を訪れた男に探偵が救いの手を差し伸べる。探し当てた妻の実家は地震でなくなっていた。この映画は震源地だった益城町を舞台に、それでも熊本で生きていこうと復興に力を注いだ人々が抱いた気持ちと、その壊れた風景を未来に残し伝えるために撮った作品である。イランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』も、イランの大地震に見舞われた村にいる自分の映画に出演した少年の安否を知るために被災地に訪れる映画だった。映画はその時に生まれた感情を忘れないように祈りを込めて作られる尊い作業なのだと思う。この2作の映画が少しでも多くの人に届くことを信じている。

■プロフィール
行定勲(Isao Yukisada)
1968年生まれ、熊本県出身。映画監督。2000年『ひまわり』が、第5回釡山国際映画祭・国際批評家連盟賞を受賞。01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし、一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』、『春の雪』、『クローズド・ノート』、『今度は愛妻家』、『パレード』(第60回ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』、『真夜中の五分前』、『ピンクとグレー』などを製作。17年は震災後の熊本で撮影を敢行した『うつくしいひと サバ?』、島本理生原作の『ナラタージュ』が公開された。最新映画は、岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』。

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(c)marie claire style/selection, text: Isao Yukisada

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