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カンヌ国際映画祭グランプリ受賞! パヤル・カパディア監督が語るインド女性の生き方

Neilson Barnard / Getty Images

第77回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で、最高賞のパルムドールに次ぐグランプリに輝いた、インドのパヤル・カパディア監督作『All We Imagine As Light(原題)』。映画祭の期間中にフランスの『Marie Claire』が行ったカパディア監督のインタビューを、マリ・クレール インターナショナルのフランス版デジタル記事よりお届け。

カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したパヤル・カパディア監督
「インドでは、大人の女性が幼児のように扱われることに、私は深く悩んでいます」

2024年5月25日(現地時間)、カンヌのグラン・テアトル・ルミエールにて、インドの若手監督パヤル・カパディアは、彼女の素晴らしい作品『All We Imagine As Light(原題)』でグランプリに輝き、米俳優ヴィオラ・デイヴィスからトロフィーを授与された。栄冠を手にする数日前、故郷ムンバイや彼女が見事に生み出した女性キャラクター、そして映画監督としてのキャリアについて語ってくれた。

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2024年5月25日土曜日、コンペティション部門で最年少の女性監督、38歳のパヤル・カパディアが、すべてのショットが息をのむほど美しい、彼女の2作目『All We Imagine as light』で、第77回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した。

(映画の舞台は)まずムンバイに降り注ぐモンスーンの雨、人であふれかえる通り、24時間休みなく動いているクレーン車がある。そこから数百キロ離れた海岸沿いに村があり、そこでは海と熱帯が非現実的ともいえる幻影を生み出している。

この2つの土地の間に、同じ病院に勤める3世代の3人の女性がいる。彼女たちを結びつけているのは、シーンを重ねるうちに発展するソロリティ(女子学生社交クラブの意)のような希薄な友情とうまくいかない恋愛や男性との関係で、そのすべては社会的・宗教的制約によって阻まれている。

Divya Prabha(ディヴィヤ・プラバー)が演じる最年少のAnuは, イスラム教徒の男性と秘密の恋愛をしており、Kani Kusruti(カイ・クスルティ)が演じるPrabhaは、好意を寄せる医師との浮気は控えながら、ドイツに移住した夫とはもう長い間、連絡をとっていない。一方、Chhaya Kadam(チャヤ・カダム)が演じる最年長のParvatyは、夫が亡くなって長いにもかかわらず、男性の矛盾した性質に、いまだ不満を抱いている。

より寛容なインドへの希望

パヤル・カパディア監督は、彼女のカメラが捉えたものの素晴らしさに加えて、政治を繊細に融合させ、現在、ヒンドゥー教を重視するモディ大統領が推進するものとはかけ離れた、より寛容で、女性差別がなく、過酷でないインドのあり方をサブテキストとして静かに描き出している。

授賞式の2日前、私たちはミストラル(冷たく乾燥した強い北風)が吹きつけるカンヌのビーチで、この新進気鋭の監督と会った。

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マリ・クレール:『All We Imagine as Light』の第1部はムンバイ、そこで働く女性たち、住宅市場の熱狂についての映画です。なぜムンバイは、あなたにとって創作意欲を刺激する大都市なのですか?

カパディア監督:私はムンバイで生まれ、離れては戻ってきてを何度も繰り返しているので、そこで起こっているすべての変化を非常にはっきりと見ることができます。インド経済が自由化された直後のこの30年間にわたり、ムンバイの街全体が急激に変貌し、高級住宅地化が加速し、もともとそこに住んでいた人々が追い出されてしまいました。

ムンバイ、ボンベイ、インド、スカイライン、夜景
ムンバイの東海岸のスカイラインの夕暮れの景色。Photo: Sanjog Mhatre Vasai Virar, India / iStock.com

多くの都市がそうであるように、ムンバイも矛盾に満ちています。この都市は国内の他の場所よりも比較的仕事がしやすく、簡単とは言いませんが、夜遅くまで働いて家に帰ることが他の場所より楽です。だから多くの女性がムンバイで暮らしています。女性たちはより良い生活をするため、お金を稼ぐため、ムンバイにやって来るのですが、そこで自由を享受するには、自分たちが稼いだ金額の予算内ではおさまらないのです。それがこの都市の1つの側面で、そこに私はとても興味があります。

インドで女性であること

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マリ・クレール:この映画では、ヒンドゥー教徒の女性Anuとイスラム教徒の男性という難しいラブストーリーが描かれています。このカップルを通してインドについて教えてください。

カパディア監督:インドで気づいたのは、あらゆる階層の女性にとって、たとえAnuのように自分でお金を稼ぎ、住む場所を持っているような自立した女性であっても、自分の人生や付き合う人に関する多くの決定が、家族や社会構造によって決められているということです。フェミニズムは、経済的に自立すれば自由になれると私たちに教えてくれましたが、インドではそうはいきません。

インドでは、女性は名誉の対象のようなもの。誰を愛していいのか、誰を愛することが許されないのか、社会が女性たちに伝え続けている中で、大人の女性が幼児のように扱われている現状に私は深く影響され、心をかき乱されています。この映画はその問題を取り上げているのです。

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そして、Anuとボーイフレンドはとてもキュートで感動的なカップルですが、男性がヒンドゥー教徒ではないという問題があります。インドでは、ヒンドゥー教徒の女性に嫌がらせをしている、イスラム教に改宗させようとしているなどの理由で若いイスラム教徒の男性が告発され、犯罪者になることがあるのです。それはただ恋をして、自分の人生を生きたいと思っている人々にとって、とても悲しいことです。

夫を亡くした50代の女性Parvatyはシングルで、幸せそうに見えます。それはまた、彼女の人生が夫の人生によって決定されていた度合いを示しているのです。

私にとって、彼女は実に典型的なムンバイの女性です。彼女はラトナギリ(巨大都市ムンバイの南350kmに位置する)の出身で、その地域はムンバイの歴史と密接なつながりがあります。20世紀初頭、ここから何千人もの男性が紡績工場で働くために大都会にやってきたからです。この映画では、かつてムンバイの紡績工場地帯だったローワー・パレルとダダールで撮影を行いました。

しかし1980年代、労働者たちによる2年にわたる大規模なストライキにもかかわらず、紡績工場は閉鎖され、彼らは寒空の下に置き去りにされました。それはまた、地方から多くの女性が都会に出てきて夫と合流し、働き始めた時期でもあったのです。

このように働き、自分の家族の世話をし、時に自分自身の家庭さえ持つ女性たちは、夫が失業中であろうとなかろうと、夫に抑圧され続けています。Parvatyの夫は、亡くなった後もなお問題を引き起こしているのです。というのも、彼は自宅の権利証の手続きをしなかったため、彼女は不動産開発業者に立ち退きを迫られています。

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マリ・クレール:現在のインドでは、女性であることは以前より楽になっていると言えますか? 進歩していますか? それとも後退していますか?

カパディア監督:その質問に答えるのは、とても難しいです。私はとてもリベラルな家庭の出身なので、いろいろなことが許されてきました。でも私の友人の中には、とても恵まれた環境に生まれ、良いキャリアを積んでいても、家族に信頼してもらうのが難しいと感じている人がたくさんいます。

男性も同じです。最近、ある友人から電話がありました。とても興奮した様子で、「やったよ! 両親に、選んでくれた女性と結婚するつもりはないと話したんだ。僕が2年間交際してきた、親がそれまで何も知らなかった相手と同棲(どうせい)するつもりだとね」。私は本当にうれしかったです。この種の問題はインドではいまだによくあります。だから、本当に状況が変わったかどうかはわからないけれど、少なくとも変わるだろうという希望はありますね。

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