6月24日、感動に包まれながら、最終回が放映されたばかりのドラマ『LOVED ONE』。過去の自分と向き合いながら、冤罪を証明していく法医学者・水沢真澄という難しい役どころを見事に演じ切った主演のディーン・フジオカさんに絶賛の声が止まらない。
アメリカ帰りで洗練された知的さがあり、少し天然なところがあるキャラクターもあわせて、「適役」「ディーンさんありきで楽しめる」とSNSを沸かせた。間違いなく、『LOVED ONE』はシリアスからコメディまでを縦横無尽に演じ分けられるディーンさんの新たな代表作になったようだ。

──毎日の暮らしの中にある何げないシーンを言葉にしているからこそ、自分ごととして置き換えやすく、多くの人がキュンキュンしたのですね。
“愛おしい”という感覚は、平凡で、他愛もない日常の一コマを連ねること、「おはよう」「おやすみ」「ただいま」「おかえり」といった何げない言葉を重ねた延長線上に生まれるものではないかと思っています。その“愛”に至るプロセスを表すために、歌詞に細部までこだわり、気の遠くなるような時間をかけました。
例えるなら、極小さな針の穴に糸を通すような緻密な作業とでもいうのでしょうか。言葉をミクロの世界、高解像度の世界で探求したともいえるかもしれません。曲作りでは、これまで音楽性の探求やサウンドの挑戦、実験のようなことに比重を置いてきたので、大変ではありましたが新鮮なアプローチでした。
──言葉を大切に紡いだ歌詞ということですが、特にお気に入りのフレーズはありますか?
うーん、もう全部ですね。あえて一つ挙げるなら、冒頭の「寝癖のままで服を選ぶ横顔」でしょうか。歌い出しって、めちゃくちゃ重要です。意味は置いておいたとしても、耳ざわりが良くなければならない。一呼吸目で、そこに人の声をのせて心をひきつけるためには、あの言葉にして良かったなと思っていますね。続く「コーヒーは絶対 ミルク多めなとこ」とか、「メールを送る時に 少しだけ唇噛む癖」とか、いろいろな言葉があった中で、なぜこのフレーズを選んだのか明確な説明はできないのですが、なんかいいなと思ったんです。
「空を見つめては 今夜何食べよっかって聞くとこ」というフレーズも、それ自体に特別な意味はありません。本当にささいな思い出のワンシーンです。それでも、一文一文を積み重ねていけばいくほど、不思議な解放感を覚えて、「全部 全部が愛しい」というオチにたどりつくんです。
──アルバムを眺めているような気分になる曲でもありますね。写真はモノクロで、写っているものの色は見る人の想像性に委ねるような。聴く側の気持ちや環境によって、とらえ方が変わる曲でもあると思いました。
どの一行も一編の映像作品や一枚の写真になるように考えました。聴く人のとらえ方で、そこからまた違うものが派生していくぐらいの含みを持つ、余白のあるポエティックなフレーズ。でも、すごく具体的な描写という究極のバランスを一行一行連ねていった感じですね。アルバムというよりは、この曲と出会った人が、どんな人生を送っていたとしても、普遍的に響く音の物語になっていたらと願っています。
楽曲を聴き終わった時に、表紙を開いて、物語を読み進めて、きちんとエンディングがある読後感を味わえるような作品ですね。そして、何回もその物語を開いては閉じてを繰り返しても廃れない、普遍性のある一冊になっているとうれしいです。その思いを常に心に抱きながら、言葉を紡いで、時に消して、書き直して、一度ボツにしたものをよみがえらせたりというプロセスを経て完成しました。
──ドラマも、この曲があったからこそ身近に感じました。
ありがとうございます。でも実は、脚本がない中でこの楽曲は生まれたんです。『LOVED ONE』という確固たるタイトルだけは決まっていて。曲作りが終わってから、続々と脚本が出来上がってきて、演じる水沢真澄という人物のバイオグラフィーが見えてきて、という感じでした。
──水沢真澄という人物をどう表現しようと思われたのでしょうか?
楽曲で表現したように、“Loved One”という言葉が示すのは、決して大げさなドラマではないんです。だからこそ、ドラマの鍵を握る水沢真澄を孤高の天才のようなキャラクターにはしたくありませんでした。どちらかというと、子どもの心を持ったまま大人になったような人物を意識しました。幼少期に野山で虫や小動物の死骸を見て強烈に好奇心をかき立てられ、シームレスに人体の生と死に関わる仕事に就いたという少年の部分を残しておきたいと思ったんです。
また、毎回、凄惨な事件が起こるわけですが、真澄の圧倒的な技術や独自の着眼点によって、亡くなられたご遺体である「LOVED ONE」が最後に残した形なき声、愛の形、欠片を一つ一つ集めて事件を解決するわけです。その過程で真澄という存在が救いとなれば、とも思いました。
──曲作り以上に、とても難しい役ではなかったでしょうか。
ある意味、そうとも言えるかもしれません。ただ、ご遺体を死体ではなく、かつて誰かに愛されていた、誰かを愛していた存在として向き合うというアプローチを通して、自然と水沢真澄としての言葉や行動が出てくるようになりました。解剖する前に、ご遺体に一声かける倫理観や、死生観、宇宙観みたいなものが真澄の中で筋が通っている。それが、外から見ると変人に思える時もありますが、最終的には救いになるように努めました。