立春まぢか
エミールは流通過程の合理化にも着手し、まずニカラグアに大規模なカカオ園を設けて安い原料を確保した上で、これを人件費の安いロンドンに送って、完成品をフランスで販売するという国際分業を試みた。さらに国内生産のメドが立つと、従業員のための学校、食堂、図書館を備えた理想的工場を建設した。

それだけではない。チョコレートが子供たちのもっとも好きなお菓子となることを見越して、小さな女の子(通称ムーニエちゃん)が壁にショコラ・ムーニエといたずら書きしているポスターを製作してフランス中に張りだしたが、この大量宣伝の方法は見事時代の波に乗り、ムーニエ社を世界的なチョコレート・メーカーに躍進させることとなる。戦前の日本でもメニエル・チョコレートの名で親しまれた。

ムーニエ社は1970年にマッキントッシュ社に買収され、現在はネスレの傘下に入っているが、ムーニエ社のシンボル・マーク「ムーニエちゃん」はフランス人にとって、いまでもチョコレートの記憶と結びついている。
「ムーニエちゃん」は永遠に不滅なのである。
【グリの追伸】テレビに初出演しました。雑誌のグラビアには何度か出たことがありますが、テレビは初出演なので緊張しました。

photos by Shigeru Kashima
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鹿島茂
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